店長は罪な人だ。天然のタラシと言ってもいい。

 超絶美女の奥さんがいるのに、ただのアルバイト店員であるわたしを惑わすような台詞を平気で吐く。

 例えば。
「崎田さんといると本当に楽しいし、楽でいいなあ」

 例えば。
「俺美人系よりも崎田さんみたいな可愛い系の娘のほうが好みなんだよね」

 例えば。
「崎田さんと付き合う男は幸せ者だよね。しっかりしてるし料理うまいし。うちの嫁もせめて味噌汁くらい作ってくれたらなあ」

 既婚者の発言とは思えない。
 こんなことを数ヶ月言われ続け、優しくされ、いつも面白い話を聞かされ、毎日隣で笑っていたら、惚れないわけがなかった。


 スタッフルームでお弁当を食べていると、勢い良く店長が扉を開けた。そして冷蔵庫からペットボトルを取り出し、勢い良くわたしの正面に座る。

「店長。店長の休憩時間はあと四十五分後のはずですけど」

「大量の買い取りとクレーム対応してきたんだから、タバ休くらい許して」

「いや店長ですからわたしの許しを請わなくても良いんですが」

「やった、さすが崎田さん」

 笑いながら店長は、テーブルに置きっぱなしだった煙草に手を伸ばす。と思いきや、箱からそれを取り出す前にわたしのお弁当に視線を移す。

「今日も手作り?」

「ああ、はい、そうです」

「から揚げと卵焼きと筑前煮。今日はふりかけごはんか」

「余りものですよ」

「昨日はおにぎり。ツナマヨと昆布。一昨日はサンドイッチとエビフライ。その前はのり弁でシャケが入ってた」

「なんで憶えてるんですか、気持ち悪っ」

「日課だから。崎田さんのお弁当チェック」

「日課にしないでくださいよ」

「眺めて羨ましがるくらいさせて。俺のメシはコンビニ弁当か惣菜パンかファストフードなんだから」

 そんな悲しそうな声を出さないでほしい。そんな声で言われたら、この人に恋をしているわたしは、良かったら店長の分のお弁当を作りますよ、なんて言ってしまいそうになる。

 でもそんなこと許されない。料理ができなくたって、あの超絶美女は店長の奥さんだ。この人に世話を焼くのはわたしの仕事じゃない。奥さんの仕事だ。

「良いレシピ本、紹介しましょうか?」

「俺にも作れる?」

「それならわたしが昔使ってたレシピ本あげますよ。初心者向けの」

「崎田さんはもう使わないの?」

「わたしはもう全部覚えちゃいましたから」

「そっかー。レシピ本より、崎田さんの脳と腕が欲しいなあ。脳みそくれる?」

「怖いこと言わないでください」

 深いため息をついてテーブルに突っ伏した店長を慰めるのも、わたしの仕事じゃない。伸ばしかけた腕を戻して箸を握り直す、と。

「隙あり!」

 店長の手が一瞬にしてわたしのお弁当箱の中身を強奪し、口の中に放った。

「あー! わたしの卵焼き!」

「うま、なにこれうまっ!」

「もう! 今日の卵焼きは最高傑作だったのに!」

「うん、超うまい。うちのお袋のよりうまい。百パーセント俺好みの味だわ」

「それはどうも……」

 最高傑作の卵焼きを強奪された悔しさと、好きな相手に料理を褒められた嬉しさ、それを何も伝えることができないもどかしさ。そのギャップのせいで余計に落ち込んで、ただため息をつくことしかできなかった。

 あれもだめ、これもだめ。わたしがこの人のためにできることなんて何ひとつない。これが、独身と既婚者の違い。
 なんて窮屈な恋をしてしまったのだろう。