「ああ、ご帰宅だ。蜘蛛は捕らえられましたか?」

 にっこり。滝本さんはシルバーフレームの眼鏡の向こう、いつもと同じ三日月形に細めた瞳で、柔和な笑顔を作って私に言った。

 私はざっと部屋を見渡す。

 ・・・雅坊は、いない。

 とりあえず安心した。1歳半の赤ん坊なのだ。夜泣きがまだ頻繁な、仰け反りかえって泣き叫ぶうちの息子を抱えて途方に暮れる滝本さんが居たりしたら、それはそれで大変面白かっただろうけれども誰一人として得をしない結果になったはずだ。

 どうやらそんなことはなかったらしい。

 ふう、と息をついて私は部屋の中に入ってドアをしめる。それから、深深と頭を下げた。

「お留守番、ありがとうございました」

「いえ、何事もなく勤めることが出来ました」

 その声には嫌味は感じなかった。何かしら思っていることがあったとしても、外面が完璧な彼は私には苦情は言わないらしい。私は荷物を置いて、襖をあけて隣の和室を覗く。そこにはいつものように大の字になって眠る雅洋の姿があった。寝かせたときのままの格好。つまり、やっぱり起きてはいないらしい。

 超、平和な光景だ。

 改めて向き直り、私は滝本さんに微笑んだ。

「すみませんでした、こんな用事を押し付けてしまって。夫からあなたに頼んだ、と聞いてとても申し訳なく思ったんで、すっ飛んで帰ってきました」