「・・・逃げ足が速えーな」
桑谷さんの小さな声が聞こえた。やっぱりそう思ったよね、そりゃ。私は電話を拾い上げて、彼に近づく。
「大丈夫?かなり痛そうな音がしたけど?」
彼が振り返った。いつでも冷静な光を浮かべた一重の瞳、その上のおでこには赤くなった皮膚。やっぱり痛かったんだろうなあ!私がそれを凝視していると、彼が淡々と、でも嫌そうに言った。
「俺が負けると思っていて、電話を準備していたのか?」
嘘をついても仕方がない。私は肩をすくめてみせた。
「そう」
「・・・くそ」
シンプルな悪態をついてから、彼は自分の携帯電話を取り出す。それから短縮でどこかへと電話をかけだした。私はそれを前で黙って立ってみていたけれど、彼が電話した相手が誰だかは、すぐに判った。だって、相手が出るなり威嚇したからだ。受話器から流れ出たそのざらついた高めの声は、私にも聞き覚えがあった。
『──────ああ!?んだよ彰人、いい加減にしろ!お前と違って俺は暇じゃねーんだよ!』
桑谷さんはくっきりと眉間に皺を浮かべながら、こちらも酷く嫌そう~な声で返答する。
「いきなり怒鳴るな、やかましい!ちょっと手伝って欲しいんだが。さっきの野郎が、ターゲットらしい人間二人を眠らせてとんずらした」
ははあ!私は呆れた顔を隠すために手で髪を直すふりをする。
電話の相手は彼の元職業的パートナーである、調査会社社長の滝本英男、その人だろう。普段は紳士的な物腰と完璧な敬語、モデルかと見まごうばかりの整った外見で他人に接する滝本さんは、幼馴染でもありパートナーでもあった桑谷さんに対してだけは、言葉使いががらりと変わる。ついでに言えば、態度も。



