相手投手が大きく振りかぶって初球を投げ込んだ。

「スットらい~く!」

予想通りのエースの先発、県下でも屈指の好投手と評判の右の本格派だ。
ストレートの球速は145キロに近いだろう。祐弥がブチョウ先生を見る。

今日まではベンチのブチョウ先生を見るふりをして、実際はダッグアウト後ろに座る小島監督を見ていた。全員が。しかし今日は采配を振るうのはブチョウ先生だ。

しかし指示はない。相変わらずブチョウ先生は腕組みをしたままデンと腰掛けている。

祐弥はボックスに両足を戻し二球目を待った。
二球目はカーブでストライク。相手バッテリーも慎重だ。

そう、それほど英誠学園の打線、特に上位打線の破壊力は凄まじい、と各紙が報じているのだった。

三球目、四球目を相手バッテリーはゾーンを外して様子を見てきた。カウントはツーボール、ツーストライクの平行カウントになる。

祐弥は球種、ゾーンにヤマを掛けずに大きく待っているはずだ。振りかぶる、そして五球目が来た。

ひざ元にやや甘めのスライダー、祐弥、フルスイング!

「キ~ン」

会心の当たりが一、二塁間を抜けて定位置に守るライトの前へと飛んで行く!

「ウぉ~~~~」

一塁側スタンドは大喝采!ノーアウト一塁だ!

「ニバン、セカンド~トネっくん」

甘ったるい中にもキゼンさを兼ね備えた女性アナウンスが球場に響き渡る。護が指示を仰ぐ、が、やはり何もない。ブチョウ先生は微動だにしないのだ。

そしてカントクサンも仁王立ち、ならぬ仁王座りのままだ。

そう、もうサンザン、教えを乞うているのだ。
今さら「サインドウコウ」ではないのだ。

相手投手はさっそくのセットポジションとなった。先乗りスコアラーとして作川学院の偵察をしてきたヤスからの報告では牽制も相当に素早く上手い、ということだった。

さらに捕手も勇士に引けを取らないくらいの強肩、ということだから当然、イニングも踏まえると単独スチールはない。

エンドランも外されたときのデメリットが大きい。となると送り、セーフティ、そして護が犠牲になる打撃、の三通りだ。

しかし相手の三塁手も送りバント、あるいはセーフティーに備えて前進してきている。

投手が左足を上げる、そして初球ピッチャーが投げ込むのと同時に一、三塁手が猛然とダッシュをかける。

「スットらい~く!」

ど真ん中のストレート。護にわざと送りバントをやらせて祐弥を二塁で封殺する戦法だ。強豪校ならそれくらいの技術がある。そしてカウントもバッテリー有利になる算段。

やっても地獄、やらなくても地獄、なのだ。さすがに作川学院、隙が無い。

当然これまでの英誠学園ならこの守りをされただけでビビってたはずだ。でも護は平然としてる。モチのロン、ダッグアウトの誰もがだ。

「だってオレタチ、練習試合でもっとすごい人たちとヤッテルも~ん。だからぜんぜ~んオドロカナイ!」

そう、あのカントクさんのお友達軍団との試合が彼らをひとまわりもふた回りも大きくしていたのだった。ホント、貴重なタイケンだったんだな。それが今、十分にヤクニタッテル。

対する護は一瞬、バントの構えを見せたがすぐにバットを引いた。

相手はまだ、護の心中を察しかねているだろう。二球目は胸元をえぐるストレートがボールゾーンに外れた。護は今度はバントの構えをすることなく見送った。相手は悩むだろう、オクラナイノ?って。

さあ、三球目だ。ブチョウ先生、動きなし。護も肝を据えたようだ。
ピッチャー、足があがる。と同時に護がバントの構えに入った。

一、三塁手がす~っと前進。ショートは二塁ベースに近寄って封殺に備える。二塁手はやや前進、だけどライト方面がガラ空きにならないようにまだ一二塁間の真ん中あたりにいる。

投げた~!

あっ!護がバットを引く、ヒッティングだあ~

アウトローやや甘い真っすぐだ~護がオモイッキリバットのヘッドを返してセカンドベース右にゴロをころがす。

二塁手はやや逆を突かれた格好になったけど、そこはさすがに強豪校の正二塁手、逆シングルで捕球し見事なスナップスローで俊足の左打者である護を一塁に刺してしまった。

盛り上がるのは今度は三塁側のスタンドだ。そしてこれが護が考えたチームバッティングだ。自分を犠牲にして祐弥をスコアーリングポジションである二塁に進めたのだ。

これでよほどの前進守備を外野手に敷かれない限り、ワンヒットで一点が入るわけだ。

「ヒットはそうそう、続くもんじゃない。ヒットなしでも点を入れることを考えろ!」

これもサンザン、カントクサンに言われ続けて来たことの、ヒトツなのだった。
さあこれで俄然盛り上がる一塁側のスタンド、何としても先制点が欲しい、ここはブラスバンドもリキが入るところだ。

そして根性の男、健大がバッターボックスに入る。

「サンバン、ふぁ~すと~、ヒラヤマくん~」

もう相手投手を威嚇に入ったのか、それとも懐かしい中学時代を思い出してのことか、ネクストバッターズサークルからブンブンと三本のバットを振り回し、そのうちの二本を放り投げて健大がバッターボックスに入った。

応援マーチは硬派の健大には似ても似つかない、なんと「ワタシサクランボ」が球場狭しと響き渡る。

いったい吹奏楽部はどういう趣味、というか感性で応援をシテイルノカ?

しかし、ここいちばんの絶好のチャンス、コワモテの即席応援団も大太鼓と校旗を振り回してスタンドは大変な騒ぎになっていた。

ここはチャンス、健大の性格からして初球から行くだろうということはベンチのみんなが十分に予想していることだ。

ブチョウ先生はそんな健大の性格をわかっているから、肩の力を抜け、とジェスチャーでアドバイスしする。しかし、そんな健大の性格を見抜いたか、相手バッテリーは二球とも変化球で健大を追い込んでしまった。

そして「次は真っすぐを混ぜてくるだろう」という健大の読み、もあえなく外れ、三球続いたカーブでタイミングを狂わされた健大の打球は力のない一塁手へのファールフライとなってしまった。

これでツーアウトだ。ランナーは動けず。

しかしまだ、チャンスは続く。期待の四番、五番だ。球場にアナウンスが渡る。

「ヨバン、せんたあ~イナモリっくん」

やはりフツウとは違うイントネーションだ。右投げ左打ちの拓海がゆっくりとバッターボックスに入る。右手にバットを持ち、左手に持ち替えると拓海は右手をヘルメットのツバ、に当てて「オネガイシマス」と打席に入った。

と、相手の外野手は総じて後ろに下がって、右寄りにシフトを変えてきた。

ここまで、大会前の不調が嘘のように調子を取り戻した拓海の成績は準決勝までで
打率五割二分、本塁打二本、そして四試合で十五打点だった。

当然マークは厳しくなるはずでここは無理には相手も勝負はすまい、と思われた。

案の定、臭いところを突きながら、あからさまな敬遠ではマズいので、拓海は体よく歩かされてしまった。

拓海は一塁へと走りながら何とはなしにスタンドをざっと見回してみたのだけれど
父親を見つけることは出来なかった。まあ、どこかにはイルンダロウけどな。

そのかわり祖父母の姿を即席応援団の一員である、空手部の賀茂の後ろに見つけることが出来た。

「暑いのに大変だなあ~具合が悪くならなきゃいいけど」

拓海はちょっと、祖父母の体調を案じた。そしてきっと、母親もどこかで見ているはずだと
思いを寄せた。

拓海に続く勇士も一流の打者であることはもう相手チームも承知しているのでここでも相手バッテリーは強引に勝負せず、フルカウントから勇士にフォアーボールを与えてしまった。

実に慎重だ。しかしこれくらいの注意を払わなければいけないのだ。決勝戦、一瞬のきのゆるみや注意不足で勝負は決まってしまう。そして「終わってしまう」から。

ツーアウトながら満塁のチャンス、何としても先制したい中で、圭介に打席が回ってきた。

「ロクバン、らいと~くぼたっくん」

なんだか松ぼっくりのような発音をされてボックスに入った圭介だったけど大応援団の声援もむなしく三球目を打ち上げると、打球は平凡なライトフライに終わり、スタンドからはタメ息、英誠学園の絶好のチャンスは敢え無くついえてしまった。

「よし、切り替えよう。しっかりマモロウ!」

ブチョウ先生はそう言って星也とナインをグラウンドへと送った。

「プレイ!」

さあ、一回の裏、甲子園初出場をかけた英誠学園の最初の守りが始まった。
これから、容易ではない、長い戦いが始まるのだ。勇士がミットを叩いた。

「シマッテ行こうぜ~」

星也のボールは走っていた。コントロールもいつもの通りで失投はほとんどなかった。勇士の構えたところに切れの良いボールがビシビシと決まって行った。

一回の裏、二者連続三振を奪って三番打者もボテボテのファーストゴロに打ち取り、上々の出だしとなった。

「ナイスピッチ!」

ベンチに戻った星也にみんなが声を掛けた。

「イイゼ良いぜ」

「よ~っしゃ!」

「点、取ってイコ~」

しかし二回の表は七、八、九番と三者凡退で簡単に終わってしまい二回裏の守りとなった。相手は四番からだ。

こういう展開になると慎重さがより求められるのだ。しかし気持ちが守りになってはいけない。攻めの気持ちを持ちながら慎重に、なのだ。

当然、これはムズカシイ。
そしてこのムズカシイところが出てしまった。

臭いところを丁寧についていたのだがカウントを悪くしたくない、という気持ちが心のどこかに芽生えてしまったのだろうか、星也のめったにないコントロールミスが相手打者の好きなところ、へと入ってしまったようだった。

右打者である相手のアウトローに得意のスクリューボールを要求した勇士だが、それがほぼ真ん中へと入ってしまったのだ。

なんと快音を残した打球は一直線にレフトスタンドへと吸い込まれていってしまったのだ。

打たれた瞬間、星也は天を仰ぎ、レフトを守る駿斗も二三歩動いただけの完璧なホームランだった。

これが野球、なのだ。押していたほうが得点できずに終わると、押されていたほうになぜだか点が入る。

もちろん、チャンスで凡打した圭介を攻める選手などひとりもいない。しかし、これが野球なんだ。怖いんだ。

すかさず勇士、健大がマウンドに駆け寄った。

「大丈夫大丈夫!球は来てる。失投だ。終わったことだ」

勇士はそう言って星也の文字通りのシリ、を叩いた。

「シンパイスンナ、取ってやるから、テン!それよりここからだ!」

健大は笑いながら星也の右肩に手を置いて囁くように言った。祐弥も亮太もマウンドに集まってきた。

「ヨッシャ、締めてイクゼ!」

みんなの励ましが効いたのだろう、星也はそのあとの三人を危なげなく切って取った。しかし英誠学園は今大会の初失点を取られ、しかも当然のことだけれど初めて先制されてしまったのだった。

ベンチに戻ると勇士が拓海に話しかけてきた。

「あいつ、ちょっとチガウ、よ。いつもと」

「えっ?でも球は来てるだろ?後ろからはそう見えるけど」

「ああ。球はキレテル。だけど何かが違う。下半身になんか力が入ってないっていうかズシッと来ないんだよ」

そういうと勇士は誰にも聞こえないように小声で拓海に言った。

「下手すると早いかもよ、出番」

こういう勇士のカンは当たるのだ。なんたって勇士は野球頭がイイ。捕手としての最高級の頭脳を持っているのだから。

「少しでも長く星也に投げてほしい。ナンか今日はウチあぐねそうなキガスル」

拓海はひとり、そんな予感がした自分を見ていた。