あの日、あれから、会話することもなく、山野君は黙々と資料を作ってくれた。
二人でしても終電に間に合わず、お互い家の方向が違うと、別々にタクシーを拾い帰路に着いた。


家に帰り、携帯を見れば、メールが2件。


1件目〈今日、定時終わりですよね?エントランスで待ってます〉
2件目〈今日は一緒に夕飯食べて楽しかったです。また明日〉


昼、屋上で携帯を渡した時に番号とアドレスを入れたんだろう。
山野君からメールが来ていた。

私の方にも、【山野将樹】と宛名に出ていたから、彼が勝手に登録したんだろう。
さっきも彼に聞かれたけど、嫌じゃなかった。
彼の強引さを少しも嫌だとは思わなかった。



再度光る着信ランプ。


〈おやすみなさい〉


ただそれだけのメールに私の胸は早鐘を打っていた。





次の日、エントランスに入った私は、つい彼の後姿を探した。
昨日と同じ時間に出社したんだから、そこに居るはずだ。
そんなことを考えていた。


エレベーターホール、その後姿はなかった。
昨日、そこにあった後姿は今日はなかった。


何故だかその事に気持ちが落ち込み、歩く速度が落ちる。
と、背後に気配を感じた。


「何してるんですか?石田さん。もしかして、俺を探してた、とか?」


その意地悪に満ちた声色は振り向かなくてもわかる。
山野君だ。
彼に心の底を見透かされた様で、それを隠そうと虚勢を張る。


「別に、探してなんかないわ。昨日はありがとうね。山野君のお陰で助かった。」


山野君がしたように、振り返らず、話を進める。
と、私の横を風が抜けた。
一瞬にして私の目の前に彼の背中が映った。



山野君は追い抜き際、声にならない声で、私に囁いた。


『俺のこと、気になって来たでしょ?』


誰にも聞こえないその声に、私は驚き、その場に立ち竦んでしまった。
追い越していく山野君は、そのまま降りて来たエレベーターに何食わぬ顔をして乗ってしまった。


私と私の心はそこに置き去りにされた様な気がした。