「悪い悪い。
 松峰さんだったね。

 初めまして、当教室の責任者。
 大田憲康【おおた のりやす】です」


そう言って握手の体制で手を差し出してくれた先生。


待って。
大田憲康って……まさか。



「あっ……あの……編曲とか、演奏とかでいっぱい名前みます。
 その大田先生?」


愛読している雑誌「月間エレクトーン」に掲載されている記事を知っていた
私は思わず興奮から勢いで言葉に出す。


「何、松峰さん知ってくれてるんだ。
 美佳ちゃん、僕も有名になったもんだねー」


そう言いながら先生は、笑う。


「私は亀山美佳【かめやま みか】と言います。
 大田先生と一緒に、この教室で講師をしています」



受付のお姉さんはそうやって、自分の名前を紹介した。


先生たちの自己紹介を聞きながら、
お母さんと大田先生の後ろに居る少年の方に意識が向いてしまう。



「んじゃ、えっと奏音ちゃんだったかな。
 レベルチェックを始めようか。

 奥のスタジオへどうぞ。
 お母さんも一緒に入ってくださいね」


そう言うと受付の立札を「スタジオ入り中」っと言うものを立てて
二人の先生は奥の部屋へと歩いていく。


スタジオと呼ばれる部屋のドアの前で、
腕組みをしながらじっと、こっちに視線を向ける少年。


「史也、今から始めるぞ」


大田先生がそう言うと、無口な少年もスタジオの中へと先に入っていく。



「失礼します」


スタジオに入ると何台ものエレクトーンが入ってる。



「えっと、松峰さん。
 どのエレクトーン使ってる?」


美佳先生がすぐに私をみながら声をかける。


「私、ELシリーズなんです」

「ELね。

 そしたら左側。前から3つめと4つ目ね。
 90と900mならあるけど、それで演奏は出来るかしら?」

「はいっ。
 90お借りします」


沢山ある機種。


エレクトーンの機種とグレードによって
音色の数もリズムもメモリの登録も変わってしまう。



お辞儀して、指定されたエレクトーンの前に座ると
ゆっくりと電源を入れる。



「では始めます。

 奏音ちゃん、緊張しなくていいから
 前の教室でお稽古していた曲を演奏してみてください」



大田先生がスタジオの正面のテーブルについたまま、
私の方に視線を向ける。

大田先生の隣には、
あの『ふみや』って呼ばれていた少年が座ってる。


緊張しなくていいって無茶苦茶だよ。


震える指先で、フロッピーから音源を呼び出して
音色変換ボタンの画面を出す。

フットスイッチの指定をしてシーケンスボタンをON。



「はいっ。じゃあ松峰さん、準備出来たら思うタイミングで演奏を始めてください」



そう言うと美佳先生もファイルとペンを手にしながら、
正面の机の方へと歩いていく。



「宜しくお願いします」



そう言ってリズムのスタートボタンと同時に演奏を始める。



フロッピーの音源も自分で作ったものじゃなくて、
プロが作ったレジストを購入したもの。


演奏の方もオリジナルじゃなくて、
TVドラマの主題歌と挿入歌のメロディー。



必死に楽譜を追いかけて、
音色を変えながら鍵盤に指を走らせていく。



あっ、ミスった失敗した……あっ、また……。