「お前さ、予定変更」



そう言うと、自分の作業を止めて

作曲に使っていたのか、五線譜だけが描かれたルーズリーフを
一枚、俺に手渡す。

そして、ト音記号・ヘ音記号・ヘ音記号っと記号を五線譜に記入させる。




「ヘ音記号。
 加線を上に一。
 
 上から順に、とらわれし象」

「はっ?
 捕らわれし象って、何言ってんだよ」

「語呂合わせ。
 ド【と】ラ【ら】ファ【わ】レ【れ】シ【し】ソ【象】」



そう言いながら、アイツは手渡したルーズリーフに
万年筆でサラサラと書きこんだ。


「捕らわれし象ねー。
 
 良く思いつくな。
 けど無理あるよな、その語呂合わせ」

「俺も教えて貰ったからな文句はウチの先生に。
 まっ、アレも教えて貰ってるんだろうけど。

 ラインの間の音符は、それぞれの真ん中を鍵盤で思い描けば出るだろ。
 こうやって加線、下に二つ足したらヘ音記号はド。

 今度はト音記号な。

 ト音記号は逆。

 覚え方は下から上で、下の加線一本入れたとこから
 お味噌汁レバー。

 ド【お】ミ【み】ソ【そ】シ【しる】レ【れ】ファ【バー】。

 んで上に加線二本たしたらドになる。
 叩きこんでおくといいよ」


って、きっかりしたアドバイスには違いないけど
ところどころ、癖のある教え方。


インパクトありすぎて、忘れねぇけど無理ありすぎるぜ。

とらわれし象の方がまだマシか。



「んじゃ、次の頁から。
 俺は作業に戻るよ」


言われるままに初見テキストをめくって、
捕らわれし象と、お味噌汁レバーを当てはめる。


最初は戸惑ったけど、確かに慣れてくると簡単で
いちいち、基本のドとなる楽譜から数えなくていいのが楽だった。


順調に頁をめくりながら続けていくと、
自身の作業に集中していた手を止めて俺の傍へと再びやってきた。




「OK、早くなってきた。
 
 それを踏まえて、好きな音楽でも流しながら
 譜面に音を並べていく作業でも家で繰り返すんだな。

 時間だからお前は教室へ。
 教室終わったら、俺の家に今日も来るといい」



そのまま俺は、アイツのいる部屋を後にして
自分のクラスの部屋へと入る。


譜読みが少しだけ早くなった。

それだけで、今まで以上に楽譜と仲良くなれた気がした。
 
譜読みに多少慣れてくると、
大幅に演奏までの処理能力は短縮する。


右手と左手は楽勝。

ハノンをやり始めてから、踏み外すことはなくなった。


継続は力なり……。




進級試験に合格できた今だから、
そうやって思うことが出来る。




*




「あらっ、秋弦君まだ居たの?

 今日は合格発表だけで、教室のレッスンはないけど
 史也君と待ち合わせなのかしら?」


ソファーに座っていた俺に亀山先生が声をかける。



げっ、今日レッスンないの忘れてた……。
何やってんだよ、俺。



「あっ、すいません。
 俺忘れてました」

そうやって頭をさげて、出口の方へと歩いていくと
入れ替わりに、暫く演奏会で見なかった史也の姿を捕える。



「あっ、史也」

「……そうか……。
 今日は進級試験の発表だったね」


少し考えてから俺に告げる。


「結果は?」

「合格したよ。俺」

「当然だよね。
 まだまだ練習不足だ。

 今から俺もスタジオで練習するけど、
 お前は?」

「あっ、俺も行きます」


帰ろうとしていた俺は、体を反転させて再び
教室の中へと入っていく。