「あった、奏音今、誰か浮かんだでしょ。
 誰か白状しなさいよ」

「白状も何も、由美花だって私がどれだけ史也君に憧れて、史也君が大好きなのか知ってるでしょ?」



秋弦の存在を打ち消すように、プリンスの名前を強調する。


「あぁ、そうだった。
 奏音には、蓮井さんの存在しかないんだもんねー」

呆れたように由美花は呟いた。


最寄り駅で、由美花と別れて帰宅した私は
お母さんが帰ってくるまで練習して、
その後は教室へと送って貰った。



教室の近くにある楽器屋さん。


その中に吸い込まれるように入って、
エレクトーンの最新機種を見つめる。





「いらっしゃい。
 君は初めての子だね」




お店の店主らしき、おじさんはそう言うと
私の方に近づいて来た。





「エレクトーン、見せて貰っていいですか?」

「どうぞ」





そう言うと店主は、カタログを手にして私の方に近づいて来た。


ステージアのエレクトーンを初めて触れる。


あっ……この音、私の90じゃでないんだ。
こんな音もなるんだ。


90で満足してるはずだった私なのに、
それでも今の教室に通うようになって
新しいのが、いいものが欲しいって思う。




良いエレクトーンを持ってるから、
良い演奏が出来るのかもしれない。



90にない音を使って演奏できるほうが、
音に幅は出てくるから、表現力が伴うはずだもん。


新機種へとの憧れと思いが湧き上がってくる。


この機種が相棒になってくれたら、
教室で惨めな思いをしなくてもいいかも。




「有難う。

 ちなみに……このエレクトーン、買うなら幾らですか?
 お父さんやお母さんに相談したくて」


「エレクトーンのグレードにも寄るしね。
 君は何処かの教室の生徒さんかな?」


「あっ、私はあそこ。

 この間から大田音楽教室に通ってるんですね。
 まだ三級クラスだけど。

 Sクラスに行きたいって思ってます」


「あぁ、憲康さんの教室の生徒さんか。

 だったら、提携割引もある。
 また時間があれば、ご両親と一緒に来るといいよ」



そう言いながら小父さんは紙に私の名前と教室名もメモって
カタログには、エレクトーンの価格+椅子代+送料と記して、
だいたいの値段を書き記してくれた。


この金額から、提携割引なるあの教室の生徒だからこその値引きが少し入るらしい。


カタログを鞄に入れて教室へと向かう。


教室のテラスのソファーには、誠記さんと珈琲を飲みながら
教室の生徒たちと交流する史也くんの姿。



皆、ここぞとばかりに自分の楽譜を持って、
史也くんの傍で質問攻めにしてる。


そんな皆の対応を笑みを携えて、
次から次へとこなしていく王子様。



「あっ、奏音ちゃん。

 奏音ちゃんもくれば?
 ここに来たら史也が教えてくれるだろうし
 俺で良かったら相談に乗るけど?」



そう言って輪の中に入れずにいた私を誠記さんは気にかけてくれた。



三重にも四重にもなった輪の中に、立ち入る勇気はなくて
私は離れた場所のソファーに座り込むと鞄の中から楽譜を取り出して
ゆっくりと課題を見つめた。





「はいっ。

 次は、三級クラスのレッスンです。
 皆さん、所定の位置について準備を始めてください」




そのまま私はいつもの様に、
ELのエレクトーンの前に座る。



その日のレッスンには史也くんも誠記さんも顔を出さなくて、
美佳先生だけがレッスン指導。


史也くんが居ないレッスンの時は、
教室の雰囲気も何処か、盛り上がらなくて、
ちょっとシーンとしている感じもした。



「はいはい、史也や誠記がいないからって脱力しない。

 次、40頁。
 第一弾のフレーズを初見で」




美佳先生のレッスンは相変わらず厳しくて。


楽しいはずのエレクトーンが
少しずつ私の中で遠のき始めていた。


レッスンについていけてないから?
私がまだまだ実力不足だから?



私はただ……史也くんみたいに、
かっこよく演奏したいのに。



その日のレッスンも、何かを習得した満足感がないままに終わって
翌日からは、通学途中の朝の駅でも姿を見かけることはなくなった。


史也君の姿を見かけなくなって二週間。
その間も、時間だけは過ぎてレッスンは進んでいく。



「奏音、元気ないじゃん」


最近、塞ぎがちな私を心配して由美花が気遣ってくれる。


「だって…史也君や、誠記さんと会えないから」

申し訳程度に、由美花のお兄ちゃんの名前も口にする。

「お兄ちゃんはおまけ……だよね。奏音。
 
 でも私、奏音だったら同じ教室だし知ってると思ってた。
 今お兄ちゃんと蓮井さん、大田先生と一緒にミュージカルの演奏で
 まわってるんだよ。

 12月。後、1週間ほど我慢したら帰ってくるよ」


そうやって由美花は答えてくれた。