「はいっ、中級クラスの生徒さん。
 お疲れ様でした。

 次は一級クラスの生徒さん。

 先に教室に入って、それぞれのエレクトーンをセットして
 ウォームしておいてください」


美佳先生の声で一斉に動き始める。

私も行こうと、慌ててテキストを閉じようとした時
誠記さんが私の方へと近づいて来た。



「改めまして。

 さっきはごめんね、由美花の兄の誠記です。
 学校の用事で史也と一緒にスタジオ抑えてたんだけど
 間に合わなくてさ。


 後、そのコード。
 悪くはないけど、G♯+長三度でC+五度のレ♯。
 そこを基準にして変動させてみたら?

 結構、便利で参考にされやすい
 
 C→ G→Am→Em→F→ C→ F→G【カノンコード】
 とかも覚えておくと楽だよ」




誠記さんはそう言うと、自分のペンで私のテキストにサラサラっと
カノンコードの進行表を書き記す。


「はいっ、終わり。

 レッスン、頑張って。
 わかんないこと出て来たら、由美花通して聞いてくれたら
 アドバイスは出来ると思うから」


誠記さんはそう言うと、
すぐに史也君の方へと出掛けていった。


テキストを閉じて教室の中へと入る。


えっと、私の相棒……。



一番最後に入ったのに、
私の相棒の前には誰も座ってない。


ラッキーって思っていいのか、
悲しんでいいのか、正直よくわかんない。


先に入った生徒たちは、皆、機種の新しいエレクトーンに座っていて
自宅の機種が古い私の相棒は用済み扱いって言っても過言じゃない。



「あらっ?
 アナタ、EL【イーエル】でいいの?

 隣のSTAGEA【ステージア】も
 開いてるわよ?」



そうやって声はかけてくれるけど、
生憎、STAGEAは使ったことがない。



「有難う。
 私、家が……90が相棒だから」

「あらっ、じゃあホリゾンタルタッチもついてないじゃない。
 ホリゾンタルタッチも、900mからだったわよね」



何気ないクラスメイトの言葉に
チクリと心が痛む。



確かに私の相棒には、
ホリゾンタルタッチはついてない。


ホリゾンタルタッチって言うのは、
鍵盤を抑えたまま、指の重心を左右に動かすことによって
ビブラートとかの効果をかけられる機能。




私の相棒が最新機種じゃないって言うのが、
今日ほど、バカにされたみたいに思えたことはなかった。




「はいっ、レッスン始めますよ。
 各自、所定位置について。

 まずはいつもの様に、レジストリレー。

 今日からこのクラスで皆と一緒に勉強する松峰奏音さんです。
 はいっ、奏音さん立って」


美佳先生に言われるままに立ちあがって、
静かにお辞儀する。



「じゃあ、いきなりだけど松峰さんも参加してみる?
 即興レジストリレーなんだけど。

 今日はSクラスから誠記君と史也君も後ろで参加するから
 気を引き締めて。

 なら、松峰さんを最初に4小節。

 その後は、前列右側から後ろに繋いで一周まわって先生、
 最後のトリは誠記君と史也君にお願いするから。

 教室内、一つになって素敵なハーモニーを繋げていきましょう。
 テーマはそうね。
 
 ハッピータイムって事でどうかしら?
 皆さんの表現を楽しみにしてるわ」




ハッピータイム?


えっ、ハッピータイム?
ハッピーな音って何?
 


これ、即興なんだよね。
早く作らなきゃ、考えなきゃ、まったなしなんだよね。


レッスンしょっぱなからハードル高すぎる。



「松峰さん、早く演奏してくださーい」



隣のさっき、嫌がらせをしてきた子が
またもや声をわざと大きめに出す。




言われれば言われるほど、
緊張して、何も考えられなくなるんだけど。


緊張から冷たくなって行く指先。



前から美佳先生が歩みかけた頃、
私の隣には、憧れの史也君。



「ほらっ、音に集中する。
 
 思いつくままでいいよ。
 弾きたいって思えたフレーズはある?
 
 まずどの音を押したい気分?」



言われるままに、
緊張からかドの音を指さす。


「OK。

 だったら、ハッピーをイメージなら
 音は高音に上昇していく方が、ワクワク感が出る。

 例えば、こんな風に」


そう言って、史也君は目の前の鍵盤に指先を
即興で走らせていく。


「なら最後の音はこの音。

 君はこの後のフレーズを4小節続けて。
 音色とリズムは、俺が今日は受け持つ」



史也君の息遣いすらもわかる至近距離。


史也君が合図を送った途端、美佳先生のスタートサインが目に入って、
全員が一斉にリレー体制に入っていく。


私の今、考えたばかりのフレーズに史也君がすかさず、
既存のリズムと音色を組みあわせてあっという間に、
何かの曲のワンフレーズを抜き出したような世界が広がる。



四小節分演奏し終えると、
最後の音を拾って、そこから始まる次の四小節の世界が
次から次へと教室内に広がっていく。



「君はもっと、エレクトーンを知るべきだ」 



酔いしれている私に史也君が囁くと、
そのまま後ろの自分の席へと向かっていく。



リレーは次から次へと流れて弾んでいくのに、
その一言で私は天から地へと突き落とされたみたいだった。



それでもげんきんなものでリレー演奏の最後。


誠記さんの演奏に重なるように、
史也君のフレーズが重なって何時の間に覚えていたのか、
最初の子たちが演奏した、即興フレーズを取り込みながら
ジャズテイストに、サックスなどでアレンジしていく。


思わず聞こえてくれる、サウンドにびっくりして、
その方向へ行くと史也君が演奏するのは、音色とメインフレーズ。


リズムパーカッションは即興で、
リアルタイムで鍵盤を叩いきながら奏でる誠記さん。


あまりに凄すぎて、
何も言葉が出てこなかった。



プリンスの音色は、果てしなく遠く、
近づけば近づくほど凄すぎて、自分を喪失しそうになる。



すでにレッスンについていけそうにない
教室の授業内容をどうクリアして行こうか必死になるそんな日。



憧れだけで、
ここまで辿りついて来たけど
私……まだ追い付いてない。




大好きな、大切な貴方に認められたいって、
今は心から思うから。




貴方の音を今は必死に抱きしめて。