「そういや、拓未洋服とかは?」
ドレッサーに向かいメイクをしている間、リビングで歯を磨いている拓未に声をかける。
…というかいつのまにか歯ブラシなんて私の家に置いてるんだ。彼はもう既に私の生活圏に入り込んでいる。

…でももう付き合ってるんだし、これからは寄生じゃなくて同棲になるのか、と1人で思い至り、すこしだけ照れくさいのと嬉しいのとはんぶんはんぶんだった。

「ない!買って!」
屈託のない無邪気な要求が向こうから飛んできて、私はそれを避ける。
「拓未、あたしそんなにお金ないんだけど」
「うそうそ、自分で買うって。今日それも見てもいい?」
そう言いながら私の部屋に入ってきた彼はいつのまにか寝巻きから着替えていた。

白Tとえんじ色のニットのレイヤード、合わせた黒スキニー。手には黒のチェスターコートを持っていて、スタイルのいい彼に良く似合う。シンプル且つ洗練されたファッションに、拓未のセンスの良さが垣間見得る。私服はかなり新鮮で、椅子に座りながら振り向いたあたしは思わずまじまじと彼を見つめてしまった。

部屋の壁にもたれながらこちらを見るその仕草に私はまたどきどきしている。

「どう?俺かっこいい?」
「…じゃあその服は?」
「無視か~い」
けらけら笑っている彼。

「前転がり込んでた家の女の子にもらった!」
また邪気のない笑顔。
なんだかちょっとだけ悔しくて、しょうがないとはわかっているけどなかなか今までの拓未を受け入れられなくて、笑ってあげることが出来なかった。

「…」
私は拗ねた振りをして鏡に向き直る。
「ねーぇ嘘だよ咲耶怒んないで、嘘じゃないけど、ねぇ」
焦った彼が私を後ろから抱きしめる。ちょっとだけ抵抗してみるけど、彼が優しく私を押さえつける。
「…怒ってないよ、子供じゃないもん」
「あー嫉妬してるんでしょ?ほかの女から貰った服着るなって?かわいいなぁ」
「ねーえ!グロス塗れないでしょ」
「あ、それ塗ったらちゅー出来なくなるじゃん」

すっかり彼のペースになって、ついつい笑顔になってしまう。

…いいんだ、これで。私はゆっくりゆっくり、今の彼を愛していけばいい。今までもこれからもそんなの関係ない。今この瞬間の彼を切り取れば、それはひどく美しくなる。

拓未は後から私を子供をあやす様に抱いたまま、私が手に持っていたグロスを取ってポーチに勝手にしまい、私を自分の方に向き直させた。

そしてちゅ…とリップ音を立て、爽やかに口づけをする。

椅子に座ったまま下を向いていた私の目線をすくい上げるように膝をつき、瞳を見つめた。
それはなにかの合図のようにも思えた。

「咲耶、あのさ、俺のこと、まだ信じられなくてもいいよ」

私は言葉の意味がわからなくて、少しだけ首をかしげた。
彼はこちらをまっすぐ見て、話を続ける。

「咲耶と離れてた時間、俺は自分を見失ってた。なにが正しいのか、周りを信じられなくなって」

拓未はゆっくりと、文字を紡いでいく。
彼の言葉はとても素直で、すとん、と私の胸に落ちていく。

「俺は、生きていく中で、いろんな人を傷つけたと思う。今だって、咲耶を傷つけてるのかもしれないし、これからだって」

私は少しだけ首を横に振ったけど、自信なさげに見えたかもしれない。

「咲耶以外のたくさんの女の子に触れたし、母親のために汚い仕事もした。そのたびにいろんな人に迷惑をかけて。どうにか自分を飾って、もがいて、やっと生きてきたんだ」

彼は震えていた。触れたら消えてしまいそうだった。それは冬の雪のようであるのに、きっと今までどこにも溶け込めなかった。

大胆不敵で、自分の芯を持っていて、それでいて拓未は、すごく脆いのだ。
きっと今まで拓未が信じきれなかった人達は、拓未の表面だけを見ていた。その奥に気づいていなかった。