こういうとき、私が行き着く場所はひとつしかない。
ドアベルを鳴らすと、彼女は家から出てきた。
「…ごめん」
私のこの言葉だけで全てを察したように、「中入んな」と、由香里は家に招き入れてくれた。

履いてきた変なサンダルを玄関に脱いで、いつもみたいにリビングに2人、向かい合って座る。

「咲耶からあんまり連絡無かったから、心配したんだよ」

もう寝る前だったのか、由香里はパジャマ姿で前髪を頭の上にちょこんと結んでいる。
掛けている黒縁メガネがなんだか新鮮だ。

「あ… オーディションはどうなったの?」

由香里は核心に触れない私の質問に少し戸惑いながらも、「一次審査は通ったよ」と、すこしはにかみながら教えてくれた。

「…そんなこと聞きに来たんじゃないでしょ。今日はどうしたの?」

由香里の落ち着いた声が私は好きだ。

私はここ3日間の全てを由香里に話した。

会社のこと、先輩方のこと、後輩達のこと、いじめのこと、間宮さんのこと。

それから、

拓未のこと。

由香里は途中で何か質問するわけでもなく、ただひたすら頷いて、私の話を聞いてくれた。

人に話すということが、こんなにも心を軽くするんだ、と思った。


「…そうだったんだ」

全てを話し終えた時、由香里は少し考え込むような顔をしていた。

「ごめん、会社の話はまた後でにして、まずはその、拓未くんのことを考えよう」
由香里の口から拓未という言葉が出て、胸がどきんとする。

「2人は付き合っていて、離れ離れになっても、その気持ちは変わらないって、約束したんだよね?」

…よく考えれば、約束とは言えなかったのかもしれない。ふとそのとき初めて思った。

迎えにいくというフレーズだけを信じてたけど、ほんとは、もしかしたら…

「…わかんない。」

由香里はひとつ息をついてから、質問を変えた。

「だとしても、咲耶は拓未くんのこと、想ってたわけだよね?」

どんどん感情が整理されていく。

私は深く、うなずいた。

「それでいきなり、音信不通になった、と」

私はもう1度深くうなずく。

由香里はもうすでに答えを見つけているようであった。

「それがなんでだか、咲耶は分かる?」

彼に嫌われた覚えも、約束をやぶった覚えもない私はぶんぶん首を横に振った。

由香里はまたひとつ息をつくと、ソファに座る私の真ん前に来て、その美しい唇を震わせて言った。

「それは、拓未くんが、咲耶のこと好きだったからだよ。
ずっとずっと、好きだったからだよ。」

時間が止まった。
2人が離れ離れになったあの日の情景が、脳裏にフラッシュバックする。

「…どういういみ……?」

「拓未くんは、咲耶の声を聞いたり、想いを受け取ったら、咲耶に会いに行きたくなっちゃうから、東京で頑張ってる咲耶の邪魔をしたくないから、連絡を絶ったんじゃないかな?」

あの笑顔が、声が、いつでも瞼の裏にある。


駄目だ。私。

自分でもびっくりするぐらい、拓未のことが好きなんだ。

あの5年前から、気持ちは変わってない。

むしろ空白の5年間が、気持ちを大きくしてる。

いつのまにか、また涙が溢れだしてた。

「由香里…私…」

由香里はやれやれと、私の頭を撫でてくれる。

「ほんと、咲耶は泣き虫なんだから」

「だって…」

由香里はさっきの拓未のように私の涙を拭うと、そのまま私の頬をぷにっとつねった。

「ほら、こんなとこいていいの?」

「へ?」

「拓未くんに…伝えたい想いがいるんじゃないの?」

5年前だってなんだって、私の初恋は終わってない。

彼にもうその気がなくたっていいから。

それでもこの想いだけは、伝えなきゃいけないんだ。

たとえ彼が変わってたって、私はこれっぽっちも変わってないんだから。

「由香里、私行ってくる」

由香里はうん、と優しくうなずくと手をぎゅっと握った。

「大丈夫。」

私はありがとうと伝えると、また由香里の家を飛び出した。

伝えたい感情を両手に抱きしめて、走る。