「え…?」
きょとんとする私に、彼はまたふわっと微笑んで言った。
「俺はいつだってお前のそういうとこに惚れこんで来たよ」
拓未は自信満々にそう言うと、そのまま給湯室を出て行った。
その姿が一瞬、5年前の彼と重なる。
また少しだけ、時間がゆっくりと流れている気がした。
***
時計はもう、10時を回っている。
報告書を1から作り直さなければならなくなったので、残業はやむを得ないのだが。
思わず深いため息が漏れる。
ふとパソコンの画面の横においてあるカレンダーを見る。
今日は誕生日だったのにな…
と、またひとつ息をつく。
なんでこんなについてないんだろう。
誕生日に、社内いじめが始まるなんて。
いじめなんて言葉、心の中で唱えるだけで吐きそうになる。
主犯の先輩の黒い表情と、それを見つめる後輩の白い目を思い出す。
ここでこれからもやっていけるのか、私…
そしてもうひとつ、思い出すこと。
私はあのメールに、ただ『ありがとうございました』とだけ返した。
心から信頼できる人がいるというのは、すごく安心する。
でも頼ってばかりじゃいられない。
きっとこの先こういうことばかり起こる。
それに先回りして仕事を完璧に終わらせなきゃいけない。
それで周りを見返して、バンバン仕事を任せてもらって、大きな企画を成し遂げて…
自分を自分で励ますほど、私の心は締め付けられる。
「ふー、終わった…」
ファイルを閉じ、印刷にかけ、お仕事終了。
「ふぁ〜あ」
長いあくび。
最近、あんまり寝れてない日々が続いてるので、まぶたが下りてきそうだ。
私はコートを着込むと、まだ仕事を続けている後輩に声もかけずに仕事場を出た。
外はいっそう寒くて、吐く息は白い。
そっか、もう12月なんだもんな…と、勝手に納得する。
12月3日、今日は私の誕生日。
子供の頃は1、2、3と続くこの日にちが大好きだった。
しかし今は師走の忙しい時期、なかなか人に祝ってもらうこともない。
携帯を久しぶりに開けると、何件かのお祝いメールが入っていて、心があたたまる。
幸せだ。
私のことを覚えていてくれる人が少なからずいる。
今はそれだけでいい。
会社ではぶかれたって無視されたっていじめられたって、それだけで。
アパートにつき、エレベーターに乗り込む。
そして今まで忘れていたことを思い出す。
拓未はもう、帰ったのだろうか?
...いや、さすがに帰っただろう。
そのとき、給湯室での2人の言動、何より自分の心情を思い出す。
あれ、私あのとき。
彼と普通に会話をしていた。
…いいのか?
第3者に聞かれたような気持ちになる。
確かにあのとき彼への憎悪はなかった。
いや、何より私は彼にではなく、先輩方に激怒していた。それだけだ。
きっと私はまだ彼を受け入れたわけじゃない。
これからもきっとオフィスだけで会って、共にプロジェクトを成し遂げる。
それだけの関係になる。
はずだ。
自分の部屋のドアの隣にある窓は真っ暗で、彼は本当に、もうこの部屋から出ていっていた。
なんとなく安堵しながら鍵を開けて中に入る。
もちろん彼が、お風呂場から出てくることもない。
部屋は真っ暗。いつもの帰宅。今日はちょっと遅いけど。
私は靴を脱ぎ、そのままコートを脱ぐ。
そしてダイニングにカバンを置き、ソファにダイブした。
そのとき。
キッチンの方から淡い光が照らしていた。
私はびっくりして起き上がる。
するとそこにいたのは、
「まだいるんじゃん…」
私は思わず呟く。
しかし彼は、拓未はにこにこの笑顔で、その光を移動させる。
「ちゃちゃちゃんちゃんちゃんちゃーん」
彼の陽気な歌声に、私は思わず笑みをこぼしてしまった。
「はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばーすでー…」
彼は歌いながら、両手に抱えたバースデーケーキを満足そうに見つめている。そしてそのままソファの前のテーブルケーキを置いた。
拓未のいたずらっ子な笑顔がろうそくに照らされてゆらゆら揺れている。
「ふー、して?」
彼の表情は5年前と変わらない。
私はもう呆れて、でも少なからずちょっと嬉しくて、机の前に座った。
「はやく!」
拓未が急かす。
私は少し照れながら、ろうそくの火を吹き消した。
2と3の形をしたろうそくが消える。
一瞬部屋が真っ暗になって、少し焦る。
拓未がその場を立って、電気をつけにいったのが分かった。
