言ってどうする?


自分の気持ちを伝えたところで、何か変わる?

いや、何も変わらない。

言ったところで、どうしたいかもわからないのに…。


「…なんとか。」

「なんとかって、なんだよ。」


ふーっと長く息を吐いて、それからズズッと鼻をすすった。

きゅっと握った拳で涙を拭き、眉間に力をいれて顔を上げる。


「藤咲が、なんとか言えって言ったんじゃん。」


「お前なあ…。」


「なによ?」


ああ、その顔、呆れてる。


藤咲…。


私ね、あなたに抱きしめられたとき、死ぬかと思ったよ。


「…K大行ったやつが言う言葉か。
ったく、心配して損したじゃん。」


心臓が身体から飛び出す感覚、そんなこと言っても藤咲は笑うだろうけど。


藤咲の温かさが、今もまだ…多分これからもずっと、残ってる。


「心配してなんて、頼んでいません。」


私ね、ずっと藤咲のことが好きだったんだよ。


びっくりした?


「夏川~!お前、いろいろ世話してやった俺に、その態度はなんだよ。」


私だってびっくりだよ。


大っ嫌いだったはずなのに、いつの間にか大好きになってたなんて。

人の気持ちって不思議だね。


「頼んだ覚えもないですから。
だいたい、このシャツだって、バカがうつるから早く脱ぎたいし。」


不思議でわからないことだらけだけど、すごく素敵でキラキラした気持ち。


何にもなかった私に、恋することを教えてくれてありがとう。


モノクロの人生の中で、あなたを想うときだけは、いつも鮮やかに色づいていた。



「人が親切に貸してやった服を、なんて言い方すんだよ。
そんなシャツいらねーから、その辺に捨てればいいよ。

やっぱり頭でっかちだよな。

人の気持ちなんか、ちっともわかっちゃいねーんだから。」



笑った顔も、怒った顔も、困った顔も、藤咲の全部が好きだよ。


だから、藤咲には一番幸せになってほしい。



「大きなお世話。
藤咲だって、人のことばっかりからかってないで、いい加減大人になったら?


私はもう平気だから。」



また会えてよかった。

これで、ちゃんと気持ちに区切りがつけられる。



『ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ』


携帯のアラームがなった。

タイムアップ。



「だから、とっとと帰れってか?」


藤咲は、携帯を手に取りアラームを消すと、ジャケットを羽織って歩き出す。


ドアの前で立ち止まり、「はあっ」っと短く息を吐いた。


ガチャッっとドアの開く音がして、私は下を向く。


さようなら、藤咲。

幸せになってね。


たとえ好きだと言っても、きっと同じ結果。


ならば、困らせるようなことは、もうしたくない。


藤咲が幸せでいてくれたらそれでいい。

私の心は、それで埋まる。


なのに、なんでこんなに泣けてくるんだろう。



ドアの前の藤咲に背中を向け、ワイシャツの裾をギュッと握った。


カチャンとドアの閉まる音。


最後に見た藤咲の顔は、怒った顔だったな…。




…!!



不意に、首の前で浅黒い腕が交差して、背中が熱くなる。



えっ?…なに?


「ムカつくんだよ、夏川は!」


耳のすぐそばで聞こえる声。


帰ったと思った藤咲が、私を後ろから抱きしめている…?


「だったらなんで泣いてるんだよ!ウソばっかつきやがって!」



ああ、心臓が痛い。


むちゃくちゃに抱きしめられて、身体が軋む。


自分さえその場所を知らない、涙のボタンをあなたが押した。


「泣いてるお前残して、帰れるわけねーだろ!」


「泣いて…ない…。」



反射的に返す言葉は、いつも裏返し。


「…なんで俺の前だと、そうやって強がってばっかなんだよ。

酔ってる時だけか?お前が俺を必要とすんのは?
シラフになったら要なしかよ!」


だって、なんでここにいるの?

なんで私を抱きしめているの?

こんなの想定外。

どうしたらいいのかわからない。

だれか、恋の取り扱い説明書を私に見せてよ。



「…苦しいよ、藤咲…。」


藤咲の怒った声も荒い息遣いも、背中に感じる身体の熱さも、全部が私を苦しくさせる。



「俺のほうが苦しいよ。



この先、お前が、誰だか知らねーやつに、こんなふうに抱かれんのが我慢できない俺は、どうしたらいい?


ウソばっかつくお前の唇を、誰だか知らねーやつが奪っていくのを許せない俺は、どうしたらいい?


頭でっかちなんだからわかるだろ?答えろよ!」




藤咲の声は、怒っているのに切なくて、私の心をギュッと掴んでちぎっていくようで…。


痛くて苦しくて、でもどうしていいのかわからない。




「な…んで…そんなこと、言うの?」



ドキドキと大きく音を立てる心臓の音が、耳にこびりつく。


藤咲は、今よりもっと強く私を引き寄せた。



「…なんでって、そんなこともわかんねーのかよ。

お前が好きだからに決まってんだろ!」




時が、


止まった気がした。