「私は、ある人の感情を奪うことで存在しました。けれど、全ての感情を完全に奪うことはできなかったし、奪った以上、私はすぐに消えなければなりませんでした。奪った感情の多くは負のものでした。この世界に絶望する感情もあれば、自分を卑下することで自尊心を保とうとする感情もありました。いつか近いうちに自分は死ぬんだろうな、という漠然とした感情もありました。その人の感情は、そんな負のエネルギーに満ち溢れていました。だから私がそのエネルギーを奪い、そして消えることで、彼はきっと前を向いて生きていけるだろうと思ったのです。もともと私は彼の中にいました。感情という抽象的なものとして、彼の中に存在していました。そして彼の負のエネルギーから姿をもらい、彼に言葉をかけました。彼の答え次第で私は、すぐに消えるつもりでした。きっと彼の中で、そういった負の感情は〈弱いもの〉という認識が少なからずあったのでしょう、その〈弱いもの〉の象徴として、私は彼と同じ顔を持つ少女としての姿をもらいました」


そうか、そういうことだったのか。


脳が、心臓が、肺が、興奮し始めていた。心臓の押し出す大量の血液が脳へと流れ込み、肺が大量に吸い込んだ酸素を、まるで腹でも空かせていたかのように脳がばくばくと食べた。思考は活性化しているはずなのに、目の前の世界がぐるぐると回っているようだった。もっとくれ、もっとくれと脳が血と酸素をどんどん食い荒らしていく。息が苦しくなる。貪欲になった脳に、運搬機能が追いつかない。


パズルのピースが揃うということ、そしてずっと解けないでいた問題の答えがわかるということはこういうことなのかと、その感覚をこのとき初めて味わった。


柊茉優を、岡崎拓海を彼女は知っていた。彼らに対し、とてつもない憎しみを抱いていること。そしてこの街に彼らがいると知っていること。僕をいじめのターゲットにしたのが彼らだったということ。


本来ならば僕とその当事者しか知らないことの全てを、そして僕でさえ知らない彼らの現状を、彼女は知っていた。


「全てのピースは出しました。頭のいいあなたのことですから、もう完成させていますよね」


ここにきてようやく僕は、彼女の顔を見ることができた。昨日も見てはいたけれど、どうしてかそのときの顔や表情はぼんやりとしている。真っ黒な澄んだ瞳だけはずっと頭の中に残っているのに、どんな顔をしていたのかまでは思い出せないでいた。それが、今、この瞬間、霧が晴れたみたいに、はっきりとしている。僕と同じ顔がそこにはあって、会うはずのなかった僕らがここにいて、目の前にいる〈僕〉は、初めて、僕に笑顔を見せていた。


「お久しぶりですね」


丁寧な口調は相変わらずだったが、あのときと同じような調子で僕に言った。そしてベンチから立ち上がり、彼女は僕の前に立った。


彼女は話し始めた。今までずっと我慢していた言葉を、自分の中に閉じ込めておいた言葉を、解放するかのように。