パドックで会いましょう

「あの子は俺の事は忘れてしまったんやって、言うてたな…。俺と一緒になろうて約束した事も、二人で逃げた事も、お腹に二人の子供がおった事も…なんにも覚えてなかったんや。」

おじさんは少し声を震わせ、うつむいて唇を噛んだ。

「それから、あの子の亡くなった母親の妹やって言う人が俺の所に来てな…もう、あの子には関わらんといて欲しいて言われた。逃げ出す前に、親父から肉体的にだけやなくて、性的虐待も受けてたから、一緒に暮らされへんようにして欲しいって言うたら、その人は家庭の事情があって引き取れんから、児童養護施設に入れるって言うてな…。」

ねえさん本人から、父親に殴られていたとは聞いていたけれど、まさか性的虐待まで受けていたなんて…。

まだ子供だったねえさんは、そこから逃げる事もできなかったんだ。

どんなにつらかっただろうと、胸が痛む。

「その後、おじさんは彼女には会ったんですか?」

僕が尋ねると、おじさんはうつむいて、布団の端を強く握りしめた。

「会えんかった…いや、会いに行けんかったんや…。」

「どうしてですか?」

「俺があの子を連れて逃げてから、俺の身内の所にヤクザみたいなやつが訪ねてきて、脅されたんやって…母親に聞かされた…。」

おじさんは僕に背を向けて、目元をそっと拭った。

「俺には少し歳の離れた弟も妹もおってな…あいつらの未来を潰す事はできんかった…。父親は職場にまでヤクザに押し掛けられて、長年真面目に勤めた会社をクビになって…これ以上あの子に関わったら、家族をもっとひどい目に合わせるって脅されたんや。俺のせいで家族にまで命を危険にさらすような迷惑をかけてしまった…。」