パドックで会いましょう

その事故はきっと、二人を連れ戻すためにヤクザが仕組んだものだろうと先輩は言っていた。

当然の如く二人は引き離され、先生は教師と言う職も、社会的な信用も失った。

ねえさんは頭を強く打ってしばらく意識が戻らず、一時は命も危ぶまれたらしい。

やっと意識を取り戻し、怪我もすっかり回復したねえさんは、なんとか無事に退院した。

その時の入院費などは、亡くなった母親の妹が面倒を見てくれたそうだ。

ねえさんが退院してしばらく経った頃、先輩は心配になってねえさんに会いに行ったらしい。

「でもな…あいつ、事故で頭打ったせいか知らんけど、いろんな事忘れてたんや。」

いわゆる、記憶喪失と言うやつだ。

それも、すべてを忘れるのではなく、部分的に記憶を失っていたらしい。

「俺の事は覚えてたんやけど、なんで事故に遭ったんかとか、事故の前はどこで誰と何してたとか、なんにも覚えてへんねん。って言うか…先生の事だけ、全部忘れてしまってたんや。」

何かで聞いた事がある。

部分的な記憶喪失と言うのは、精神的に強いショックを受けた時に起こりやすいと。

自分の名前や過去の記憶があるのに、あるひとつの事についての記憶だけが、すっぽりと穴が空いたように抜け落ちてしまう。

頭を強く打ったのなら、記憶のすべてを失っていてもおかしくはなかったのに、何がきっかけでそうなったのかはわからない。

ひとつだけわかるのは、ねえさんを守るためにすべてを捨てて一緒に逃げたはずの先生を、ねえさんが忘れてしまったと言う事だけ。

悲し過ぎる恋の結末。

ねえさんが言っていた、何かを忘れている気がする、と言う言葉が、やけに鮮明に思い出された。