そう言ってさと子の首筋を撫でる。さと子は顔を赤らめるどころか、しおれた花の如くぐったりと俯いてしまった。まったくなびかないさと子に、思わずスーさんまで肩を落とす。悲しみの痛み分け状態だ。かと言ってずっと落ち込んでいるわけにもいかないので、スーさんはさと子の襟を掴んで立ち上がらせた。箸でさと子の背中を叩くと、「行け!」と公園のジョギングコースを指さした。
「ま、まさか……」
「走れ! 聞こえなかったのか? 走れ!!」
 しばし目で訴えかけてみたら、箸をジョギングコースのコンクリートに叩きつけて威嚇された。走る以外に選択肢は無いらしい。
「……こなくそーっ!!」
 さと子は覚悟を決めると、ジョギングコースを走り始めた。走って3メートルで既に息が上がった。チラッとスーさんを見ようと後ろを振り返ると、真横から腕を掴まれる。
「どっち見てんだ? ゴールはこっちにあるんだぞ?」
 目を疑った。さっきまで後ろにいたはずのスーさんが真横にいたのだ。さと子は驚きで力が抜け、歩幅が狭くなった瞬間に、ふくらはぎに箸でつっつく。ハッとしたさと子は急いで歩幅を元に戻した。スーさんが速いのかさと子が遅いのか、こっちが必死に走っているのに、スーさんはゆうゆうと歩いているのがさと子は腹立たしかった。
「頑張れ、頑張ったら、俺の好感度がもれなく付いてくるぞ」
 必死に走っているので聞く耳も持てない。黙々と走るさと子に、スーさんは慌てて頭を撫で始めた。
「が、頑張って。頑張ったら美味しいステーキが待ってるんだから」
「よっしゃあ!!」
 食べ物のことになると急にスピードを上げるさと子に、スーさんは憂いの表情を浮かべざるを得なかった。

 走った。さと子は走りきったのだ。長かったあの道のりを。
「お疲れさん。けど、たった1キロ走ったくらいで、そんなフルマラソン走りきったヤツみたいな顔すんなよ。お前にまだその権利は無ェぞ」
 そうは言いながらも、ほいよとドリンクとを手渡すスーさん。有難く受け取ると、ドリンクを飲みほしてぷはーっ! と声を上げた。汗だくのさと子を見兼ねて、スーさんは後ろからスポーツタオルでさと子の髪を拭いた。
「……あ、今の普通にドキっとした」
 そう言うと、振り向いて笑顔を向けるさと子。スーさんの表情がたちまち明るくなると、「あったりまえだろ? 俺を誰だと思ってるんだよ」と笑い、乱暴にタオルを動かして髪をぐしゃぐしゃにした。

 家に帰ると、さと子はご飯より先にシャワーにすると言う。今回は、相当汗をかいたので仕方ない。
「背中流してやろうか?」
「いや、結構です」
 疲れ果てているさと子には、スーさんのノリはめんどくさい。適当に返すと、急いで脱衣所に入った。
 汗を流して気持ち良くなったところで、何時もの部屋に戻ってきた。テーブルの前に腰を下ろすと、隣の部屋でテレビを見ていたスーさんがさと子の元へとやってくる。
「今回は甘くしてやったが、次回からは距離増やすからな」
「えー」
「黙れ。お前、痩せたいんだろう? 本気で痩せたいんなら、こっちも本気でやるつもりだ。それが嫌だってんなら、さっさと神様に魔法を解くように直談判することだな」
 厳しいお言葉に、さと子は返す言葉も無い。さと子のあまりの落ち込みように、スーさんは頭を撫でて言葉続ける。
「これは辛いことかもしれないが、いつか絶対目に見える形になるし、確実にお前の為になることなんだよ」
 スーさんの言葉に、さと子の表情も和らいだ。
「有難う。神様の説明だと、もっと女性に冷たいのかと思ってたからびっくりしたよ。こんなに優しいなら、たくさんの女性が恋しちゃうね」
 思ってもみなかった言葉だったのか、スーさんは視線を斜め上に逸らしてしばらく返答に悩んでいた。今まで女性に自然体な姿で接した記憶が無かったのだ。やがて視線をさと子に戻すと、ウインクをして答えた。
「まぁ俺程の者になるとな。けど、今回のはサービスな」
 とびっきりのキメ顔で言ったスーさんだが、さと子は背を向けて冷蔵庫からお茶を取り出していた。やはり返答にながいこと考えてしまったのがまずかったのだろう。スーさんはテーブルに顔つけて、「ふふふ……」と悲しげな笑いをこぼした。
「そんなにすぐ食いたいか! そうかそうか、じゃあさっさと食うが良いさ、馬鹿野郎!!」
「ん?」
 さと子が振り返ると、テーブルの上に肉汁がキラキラと輝くステーキが乗っていた。
「わぁ! やったぁステーキだ!!」
 お茶を注ぎ、一口飲むと、両手を合わせて大きな声で言う。
「いただきまーす!!」
 今までのラジオ体操でも結構キツかったのに、今回は1キロ休みなく走らされてしまった。明日はきっとあらゆるところが筋肉痛になるだろう。苦しかったけど、たくさん汗をかいたあとのシャワーは気持ち良かったな。これがお風呂だったらもっと良かっただろうな。だったら、明日は運動しに行く前にお風呂沸かしておこう。
 そんなことを考えながら、分厚いステーキを口に運ぶ。口の中でほどける柔らかなひき肉も素敵だけど、噛みごたえのあるがっしりとしたステーキも素敵だよね。正に、素敵なステーキだ。数日ぶりに食べるステーキは、今までのどんなステーキより美味しく感じた。バターのとろけた野菜も、ハンバーグの時とはまた違ったまろやかさがあってたまらない。スーさんって、見た目全然ステーキ感無かったけど、バターみたいなまろやかな部分は時折見せる優しさで、噛みごたえのある食感は、スーさんの頼りがいのあるな。残念ながら、色っぽいところは見つからなかったけど。
「あー、美味しかった。ご馳走様でした!」
 今日もさと子のお腹と気持ちは満たされた。食器を洗うと、隣の部屋へ行き、テレビの電源を付ける。偶然にも、付いた番組ではダンス式のダイエットを披露していた。普段はチャンネルを変えるなり、そのまま見過ごすさと子だが、よく見てみると意外と面白そうなダンスに、思わず立ち上がって踊りだしていた。
「これ面白い! でも意外と効くなぁ。これをハンちゃんと一緒に踊ったら、スーさんも少しは認めてくれるかなぁ」
 気がつけば、5分間ずっとダンスを踊っていた。どうやらこのダイエットのDVD付きの本が書店で売っているらしい。それならば、明日買って帰ってスーさんに直談判しよう。これを、ハンちゃんとするからと。なんなら、3人でやっても良いんだけど。2人いるってことは、2食分食べることになるからなぁ。テレビを消すと、さと子は部屋の電気を消して布団の中に入った。だが、明日が楽しみすぎてしばらく眠れずにいたさと子だった。

――現在の体重96キロ