「ええ!? それは良いけど……ビチョビチョじゃない。もしかして此処まで歩いて来たの?」
「居酒屋から近かったからな」
 ただでさえ白い顔が、寒さからか青くなっている。ずぶ濡れの達海も構わず室内に上がらせると、ジャケットを預かり、風呂場へと案内する。
「ゴメン、私先に浸かっちゃったけど、良ければ入って」
「すまん。有難う」
 達海を風呂に入らせ、さと子は、「ありゃあ」と腕を組んだ。
「こんな日に酒飲むなんて、やっぱりお付き合いって大変よね」
「そうねぇ。でも彼、車無いの?」
「うん。免許持ってないんだ。ずっと電車通勤してるの」
「へぇ~何でも出来そうなのに意外だわぁ」
 達海が風呂に入る間、なべ姉にテレビを寝室から食間に移動してもらった。テレビがあった方が会話も弾むだろうと配慮してのことだ。料理は丁度鍋を作っていたし、問題は服だ。達海の服はずぶ濡れで論外。かと言って、さと子の服を着せるわけにもいかない。そもそもサイズも全く合わない。仕方ない。豪雨だが、自分が買いに出るか。などと考えていると、老人の笑い声が聞こえてくる。
「困っておるようじゃなさと子。服なら貸してやろうか?」
「神様! 良いの? 良かったぁ。出来ればお願いしたいなぁ」
「ああ良いぞ。長い会合で疲れた。お前と世間話してる方がよっぽど楽しいことに気付いたわい」
「あら、それはどうも」
 神様が手を振ると、その瞬間、さと子の手に灰色のスウェットと黒い紳士用下着が現れた。
「それなら、父親が着た時用に~とか言えるじゃろ」
「確かに! 有難う御座います!! これで服は安心だわ」
 服の問題が解決した所で、達海が風呂から上がっていないことを確認してそっと服を置く。扉を閉めると、さと子達は神様やなべ姉と世間話を始めた。その間、神様が幾度か、ウン、ハイ、ヘェ~と言ったのは言うまでも無い。

 脱衣所の扉が開くと、達海は用意してあった服を着てさと子の前に正座をする。
「色々と助けてもらって申し訳ない。コレ、お父さんの服か?」
「うん。たまに泊まりに着た時ようにね。これからは達海用の服も用意しないと駄目ね!」
 さと子は冗談っぽく笑った。達海はその言葉に目を見開いて驚くと、さと子から視線を逸らして言った。
「……そうかもな」
 達海の呟きは、隣の部屋から見ていた神様となべ姉だけが知っている。
 達海と鍋をつつくと言うことで、なべ姉は早々に料理に戻った。神様も残りの仕事をしてくると言っていなくなると、残されたさと子と達海はテレビを見ながら鍋をつつく。
「達海も一人暮らしだったよね? 実家とか帰ってる?」
「いや。最近忙しくて全くだ」
「お父さんお母さん待ってるだろうしさぁ、早く帰らないとね」
 さと子は水菜を摘みながら言った。何気なく言った言葉だったが、さと子の言葉を聞いた瞬間、達海の表情は暗くなった。
「どうだか。俺の親は、俺の能力や社会的地位しか興味無い」
「そうなの?」
 不安げに聞くさと子。もう具が少なくなってきたので、準備しておいたインスタントラーメンを鍋に入れた。
「ああ。小さい頃からそうだった。俺がどうなろうと、親どころか誰も、何も言わなかった」
「どうなろうとって?」
 さと子が聞くと、達海はテレビの方を見る。コンプレックスを持った人特集がやっていた。
「お前、太ったことはコンプレックスだったか?」
「そりゃあ太ったら色々言われるしねぇ。実の所、親にも恥ずかしくて見せる顔無かったし」
「でも、お前の所の親、優しそうだよな」
「どうして?」
「お前見てたら、分かるよ」
 達海は穏やかな顔つきで言った。さと子は、「どうかな」と首を捻った。
「だとしたら、私も達海見てたら親御さん良い人なんじゃって、思うよ」
 さと子が言うと、達海は少し驚きながらも、柔らかい笑みをさと子に向けた。
「それは多分。親じゃ無い。お前が……」
 状態をフラフラとさせる達海。急いで達海の元へ移動して体を掴む。
「達海、絶対熱あるよ。休みな」
 肩を貸し、達海を寝室へ連れて行くと、何時もさと子が寝ている布団に寝かせた。温かい物を食べて血色が良くなったとばかり思っていたが、熱で顔が赤くなっていたみたいだ。さと子はタオルを濡らすと、達海の額に乗せ、「おやすみ」と戸を閉めた。戸が閉まると、達海はゆっくりと目を閉じた。
 達海が心配ではあったものの、自分は医者では無い。割り切ってラーメンを食べることとしよう。ラーメンへ箸を伸ばしたその時、目の前からラーメンが汁ごと消え、隣にガタイの良いゴリゴリの男が現れた。
「シメのラーメンは、お鍋に入りませんか?」
「ラーメンはラーメン。入りません」
 男はさと子の問いに冷たく言い放つと、ゲラゲラと笑った。
 さと子が口元に手をやってシーっ! と隣を指差すと、男は口に手をやって、「すまんすまん」と小声で言った。
「おっちゃん、私ラーメンが本当に食べたかったんだけど」
「だろうなぁ。でも、俺も一応食べる前に出てくるのが決まりだしなぁ。それに、出番も欲しかったし。ちょっとぐらいガマンしてくれよ」
「へぇい」
「それはそうと、お嬢ちゃん可愛いな。もう痩せなくても十分良いくらいじゃないか! 俺のタイプだ!!」
「い、いや、おっちゃんにタイプになられても」
 おっちゃんは大声を出して笑えないので、口元に手をやって必死に笑いをこらえた。幸せな奴め。さと子は苦笑いした。
「でも、あの兄ちゃんも良いって言ってたろ? 本当に綺麗だよ。他の男に取られないか、ヒヤヒヤするくらいにな」
「大丈夫ですよ、こんなデブだれも取りゃしませんって」
「デブならそうかもな。でも、痩せたらどうする?」
 痩せたら、もっと色んな服を着て、なべ姉がしてくれたようなメイクをして、遠い場所にだって出かけてみる。そんなことをしてみたいと密かに思っていた。それをおっちゃんに告げると、おっちゃんは笑顔で頷く。
「やっぱり、色んなことしてみたいよな。きっと男からモテるぞ~?」
 おっちゃんの煽りに、さと子は頬に手を添えてニヤける。ニヤけるさと子の額に、おっちゃんがデコピンをした。さと子は、「痛っ!!」と声を上げると、その場に転げ回った。
「ま、思う分には良いが、傍にいる人の優しさも忘れんようにな……俺みたいに!!」
「どこがじゃっ!!」
 さと子のツッコミに、おっちゃんは声を上げて笑った。さと子が再度シーっ! と警告すると、おっちゃんは更に笑い飛ばす。
「おいおい考えてみろ。俺は奴には見えてねぇんだ。声だって聞こえやしないよ」
 成程。さと子はおっちゃんをじっと見つめた。
「にしても、あの調子じゃ明日治るか分からんな。どうすんだ? アイツのこと」
「出来れば達海だって自宅の方が落ち着くだろうし、明日調子良くなれば帰ってほしいけど……。無理だったらもう少しだけ泊めるよ。あんまり変に出入りされて、知り合いに勘違いされたりしたら嫌だし」
「そうだな。そうしてやりな。んで、じっくり話を聞いてやると良い。あの手のタイプは、話したくても話せないことがいっぱいある。こっちがしつこく聞いてやらないとな」
「うん、分かった。有難うおっちゃん」
「有難うってお前、如何にも食いたいですオーラ出すんじゃないよ!! 仕方ねぇなぁ」
 名残惜しそうであったが、おっちゃんは鍋の中に戻ると、よせ鍋の汁に染みたラーメンへと戻った。時間はかなり経っているはずだが、麺は伸びていない。恐るべしグーグーダイエットマジック。
「いただきます!」
 両手を合わせてラーメンをすする。つるんと舌触りの良い麺が喉を通っていき、喉が気持ち良い。スープもよせ鍋の魚や野菜の味が混ざっていて美味しく、芯から温まる。達海も美味しそうに食べていたが、もう少し食べさせてやりたかったな。
「ご馳走様でした」
 ラーメンを食べ終え、そっと達海の眠る寝室を開ける。起きる様子は無いので、慎重に押し入れを開けて布団を食間に持っていく。布団の準備が完成すると、さと子は仁王立ちして鼻息を一つ荒くした。達海の方が気になり、物音立てずに忍び寄って顔を見てみる。改めて見ても美しい顔だ。こんなイケメンが何故この太ったOLの家で寝ているのか。奇妙な感覚だったが、たまにはこういうのも良いか。クスリと微笑むと、寝室を出て静かに戸を閉めた。


――現在の体重、66キロ