「いやあっ!!」
 直人はビンタをされる心構えをして目を瞑った。しかし、すぐにビンタは飛んでこない。片目だけ目を開けると、女性は直人の頬の横で手を止めていた。
「……本当、ですか?」
 潤んだ目で直人を見る女性。チワワのようで可愛い。さと子は羨ましそうに眺めていた。
「ああ、もちろん」
 直人は彼女の目を見つめて答えた。女性は嬉しそうな顔をしたが、すぐに思いつめたように顔を逸らした。
「……たとえ、私に子供がいても?」
 さと子達に衝撃の雷が落ちた。当然、それは直人にもだ。ついでにマスターも落ちている。そんなこととも露知らず、女性はカバンからスマートフォンを取り出して直人に見せる。
「この子、私の子供なんです」
 そこには、まだ幼稚園児くらいの可愛い少年が映っていた。顔は女性にそっくりで、決して冗談では無いことを証明していた。
「旦那さんが、いらっしゃるのですか……?」
「いいえ。彼は子供が出来たと知った途端、私の前からいなくなりました。それから、男の人が怖くて……」
 女性の手が震える。状況が変わった、直人が女性を励まそうと肩に触れると、女性がまたもや叫び声を上げた。疲れていても、怖いものは怖いようだ。
「どうぞお殴り下さい!!」
 直人の言葉と同時にビンタをし、気を落ち着けると、「すみませんすみません」と平謝りをした。直人もつられて、「とんでもないです」と頭を下げる。
「そんなの、男の方が悪いんです。貴方がどうこう言うことではありません。僕は! 不器用で、でもピュアな可愛らしい貴方が大好きなんです。お子さんだって超可愛いし! 全然構わないです、オールオッケーです!! ですから、お友達からでも良いので僕と……お付き合い、して下さい。お願いします」
 直人は椅子を戻し、その場に土下座した。女性は、「いやっ!」と驚いて下を見る。
「そ、そんな……止めて下さい」
「お願いします。もう止まんないんです。貴方への愛が」
「そんな……」
 直人の元へと寄り、しゃがんで直人の背に手を添える女性。傍観者達は緊張した面持ちで2人を見た。
「あ、有難う。男の人に、こんなに愛してもらうの、初めて……。こちらこそ、宜しくお願い致します。あの……」
 直人が顔を上げると、添えていた手を離し、自分の胸に持ってくる。そして彼の目を見ながら、照れくさそうに言った。
「私も……大好き!」
 その瞬間、静けさのあった店に活気が戻った。達海とハイタッチをした後、食べ物男子達にも一人ひとりハイタッチして行く。達海は首を傾げていたが、店の盛り上がりように驚いた女性は。思わず立ち上がった。
「だ、大丈夫ですよ!」
 そう言って直人が女性の腕を掴むと、女性は叫び声を上げて直人にビンタをした。
「あ、ごめんなさい!」
「平気へいき」
 2人は見つめ合うと、何だか可笑しくなり、声を出して笑った。
「おめでとう!!」
 大声を出したのは未だに泣き続けるマスターだ。そのまま涙声で話し続ける。
「君達に……お祝いだ! 特製ナポリタンで祝杯を上げよう!!」
 マスターの粋な計らいに、さと子達はもとより、事態がよく分からない女性や直人も喜んだ。
「ってことはもう元に戻んないといけないのかぁ。まぁ、今日は何時も以上に楽しめたから良いけどね」
 なぽりんは少し寂しそうにさと子を見た。さと子は優しく頷く。
「さとりんがダイエットしてて良かったよ。じゃないとボクは、きっとこんなラブの形を一生見れずに終わっただろうから。とっても楽しかった。だから、また青春の予感を感じたら、ボクを呼んでね。それじゃあ!」
 なぽりんが姿を消すと、代わりにマスターがナポリタンを持って登場した。
「どうぞ」
 それぞれの席に2つずつナポリタンが置かれる。湯気が出ていて、甘酸っぱい匂いが昼食を食べていないさと子には食欲を格段に上げる。
「いただきます!」
 それぞれが手を合わせてナポリタンを食べた。ケチャップの酸味が疲れた体に効く。トマトの味も濃く、トマトの甘みも染みている。ケチャップが絡んだ野菜も美味しくて、確かに青春の甘酸っぱさがあるような気がする。此処まで食べて、手元にある粉チーズをかけて味を変えた。甘酸っぱいケチャップが少しまろやかになる。どちらの味も、さと子は大好きだ。一味変えて堪能したナポリタンを完食し、両手を合わせて何時もの言葉を言う。
「ご馳走様でした」
「ご馳走されましたん」
「えっ!?」
 さと子が声のする方を見る。なぽりんは当たり前のように席に座っており、さと子に手を振った。
「あ、お弁当の方残ってたんだっけ……」
 今日は色んな人間に振り回される。直人になぽりんに女性に……出会った人間にはほとほと疲れさせられた。
「大丈夫か? お前、ほんとに」
「あ! ご、ごめん! そう言えば達海、コレ!!」
 さと子は達海にタッパーを手渡した。中には弁当箱用のしきりをしており、そこには色んな種類のおひたしがたくさん入っている。
「お……有難う。本当に種類多いな。帰って堪能するよ」
「是非是非、堪能して下さいまし!」
 達海の隣に立ったひたし様が、ペンギンのように両手を振って喜ぶ。さと子も親心のような気持ちになってひたし様を見る。少し、神様の気持ちが分かるかもしれない。
「そうじゃろうそうじゃろう?」
 久々に現れた気がする神様。勝手に心の内を読まないで欲しい。さと子はどこ見てんのよと言わんばかりに胸元を隠した。
「ほっほっほ。久しぶりだな、さと子。イケメン達とは上手くやっとるかの?」
 此処で喋ると達海に変に思われるだろう。達海にバレない程度に愛想笑いをする。
「まぁ、此処は空気を読んで黙っといてやるかの。ほいほい」
 神様が他の食べ物男子達と話をし始めると、ホッと胸を撫で下ろして達海との会話に戻る。
「うん、達海も気に入る味だと思うよ」
「ああ、おひたしは前から好きなんだ」
 達海の言葉に、ひたし様はまたすすり泣いた。神様がひたし様の背中を撫でて落ち着かせる。
「……と、見ろさと子」
 達海の声で、直人達の方を見る。2人はマスターに礼を言うと、喫茶店を出て行った。出て行く時手を握ろうとしていたが、思い切り頭を叩かれていた。
「仲良くなれると良いわね」
「そうだな。せめて手は握らせてやってほしいな」

 2人も喫茶店を出て行き、さと子は何とか帰宅した。今日は様々な場所へ行き、走らされもした。その上、朝の占い通りに極端に運の悪い一日らしく、帰り道に犬に追いかけられたり、車に水たまりを引っ掛けられた。サッカーボールが急に飛んできてキャッチしたら、その勢いで壁にぶつかった。お陰さまで汗もだらだらだ。
「あーもうあっつい。でもコート借りたままにしといて良かった。コート着て無かったら、水たまり直に来てたからな、スーツ。クリーニング出して返そ」
 コートやスーツを脱いでハンガーにかけ、パジャマに着替えると水を浴槽に少量溜め、温める。
「半身浴ですか?」
 ひたし様の問いに、さと子は頷く。あの適当男の言葉に素直に従うさと子は偉い。あれから、なべ姉に脅し半分に口止めされたひたし様は奴の本心を言うことが出来ない。とりあえず、半身浴をするのは体に良いのなら、止める必要も無いのかもしれない。
「神様、もしかしてあの話聞いてたの?」
「うむ。と言うより、ずっと見ておったぞ? 近くで」
「え? うっそ、何時?」
 記憶を掘り起こすものの、一切このおじいさんの姿が思い浮かばない。あまりにも彼の恋路に熱くなっていたからだろうか。
「ほれ、喫茶店にずっとおったじゃろうが」
 喫茶店に? あの中にいた人間と言えば……何かに気づいたさと子は、神様を2度見した。喫茶店で変な部分で涙を流していたあのマスター、恐らくあの人間が神様か。
「……マスター?」
「おうおう! ちと今回は姿を拝借しての」
「拝借!?」
 今まで神様と自称されてても、多少の疑いを持っていたのだが、憑依とか出来るんだ。少し神様の実感が湧いて来た。
「楽しかったの~あの納豆男も何とかあの女性と仲良くなっての。いやぁ、年取ると涙もろくなってしまうものじゃ」
「あ、神様も納豆っぽいって思いました? 何か独特で好き嫌い分かれそうですよね」
「いや、ワシはお前さんの心を読んだだけだがの」
「あっそう」
「じゃが、お前は納豆の良さを知っておろう?」
 納豆は臭いや味はもちろんのこと、見た目の時点で苦手だと言う人も多い。いわゆる食わず嫌いというものだ。もちろん、苦手は要素があることは、知っているが、納豆も食べてみると意外と美味しいものだ。何より、彼は何度彼女に冷たくされても、お弁当をそのままの見た目で返されても、くじけることなく愛し続けた。納豆も彼も、良いところはそんな粘り強さだ。彼女は、そんな納豆のようなクセのある人間を少しづつ受け入れようとしているのだろう。
「はい!」

 半身浴を終え、さと子は昼食にするはずだった弁当を食べた。
「いただきます!」
 たくさん汗をかいただけ、その食材の味が愛おしくなる。それぞれの味を噛みしめ、「ご馳走様でした」と両手を合わせて頭を下げると、今日も眠りについた。

――現在の体重87キロ