『お弁当、有難う。とっても美味しかったです。でも、やっぱりそろそろ勇気をださなきゃ。そう思います。だから、仕事が終わってからで構いません。宜しければ、会社の2件隣になる喫茶店で話しませんか。ずっと待ってます。貴方のこと』
 手紙を持つ手がガタガタと震える。ドMと自ら言っていたあの時の彼は何処へ行ったのか。放ってもおけないので、さと子が直人の襟を掴むと、「行くぞ!」と声を荒げて走り始めた。
「ま、待って。まだ心の準備が!!」
「んなの良いのよ! 早く行くの。あの子はアンタが心の準備する間、ずっと苦しい思いすることになるんだから!!」
 さと子の正論に、直人は何も言い返せない。口をつぐむと、心の準備を整え始めた。
 スーさんにしごかれたお陰で、2キロぐらいは何とか走ることが出来た。もうこれ以上は体を悲鳴が上げる。その時、さと子の視線に手紙に書いてあった喫茶店が見えた。
「いっけええええ!!」
 入口に向けて直人をぶん投げる。
「うわあああっ!!」
 看板をよけきれなかった直人は、喫茶店の長方形の看板に思い切りぶつかった。食べ物男子達はあちゃーと額に手を当てた。あまりの衝突音に驚いたのか、喫茶店の内側から扉が開いた。其処から出てきたのは、あの手紙の女性だ。
「だ、だいじょう……あ!」
 思わず口に手を当てる。髪型も服装も変えたが、一瞬で彼だと気づいたらしい。そわそわとしだし、顔も赤くなる。少し雲行きが怪しくなりかけたが、さすがにあんなに勢い良く看板に衝突した直人に、冷たくあしらう気にはならなかったらしい。
「此処にいたら邪魔になるから、さっさと入りなさいよ」
 見れば見る程極端なツンデレを持つ女性だ。可愛いと言えば可愛いのだが、この性格ではなかなか彼女に近づこうとする男性はいないだろう。
「気になるなぁ。でも、私この見た目じゃ明らかに怪しいよなぁ」
 入口の前で扉にしがみつくさと子。その姿が一番怪しい。周りの目も不審に変わりかけた時、肩に手をかけられる。細くしなやかな手なので、ひたし様かと思って振り返ると、後ろには私服に着替えた達海がいた。
「達海! どうして?」
「一応友の恋模様だ。気になるだろう」
「そっか……あ、もしかして今まで私達のことつけてた?」
 達海は目を逸らし、口元を緩ませた。どうやら正解らしい。
「何よもう! だったらアンタが手伝えば良かったでしょーが!!」
「俺にはどうすれば良いのか分からないんだよ。恋のことは」
「はー、駄目なヤツ。で、アンタだけ話を聞くってこと?」
「まさか。一緒に行くぞ。コレで」
 達海はさと子に長いコートと、質の良いオシャレな帽子と、真っ黒なサングラスを手渡した。成程、逆にこの体型だと、これだけの変装でも間に合うのか。悲しい話だが、これはつまり、また達海のお母さんや親せきのおばさんと勘違いさせる戦法と言うこと。肩を落としたが、すぐに気を取り直して店内へと入って行った。

 喫茶店特有の、扉のベルの音。普段は好きなのだが、今は2人の雰囲気を壊してしまわないかと思うとわずらわしい。
 丁度良いことに、2人は店の中間くらいの席に座っていた。まだ話は始まっていない……と言うより、どちらとも何を話せばいいのか迷っているように見える。さと子と達海は奥の席に座った。食べ物男子達も、客が少ないのを良いことに、空いてる席に座りだした。
「あ、あの」
 直人の方が声を出す。急なことで驚いた女性は、「キャッ!」と声を上げた。慌てた直人は、「すみませんすみません」と何もしていないのに頭を下げる。あのしなやかな動き、恐らく謝り慣れている。
「ご、ごめんなさい……」
 女性も謝ってくれたことで、直人は首を振り、ニコッと微笑んでもう一度話始める。
「手紙なんですけども」
「いやあああああっ!!」
 さと子やなぽりんを除く食べ物男子達はガクッとうなだれる。なぽりんはうずうずするような2人の様子にニヤニヤし、達海は無表情でアイスコーヒーを飲んだ。
「落ち着いて落ち着いて!」
 と、彼女の腕を掴むと、何か事件でも起きたのではないかと思う程の金切り声を上げた。あまりのことに、喫茶店のマスターも前のめりになって2人を見るが、直人がマスターの方を向いて首を横に何度も振る。さと子や達海もマスターに向けて首を振ると、マスターはコクコクと頷いた。
「すみません! 触るのは失礼でした。とにかく落ち着いてくれ。と言ってもそう落ち着けないか……じゃあ」
 直人はどうするべきか考えた。今までの対応、そしてあの可愛らしい手紙の内容を思い出す。やがて何か思いつくと、テーブルをバンッと叩き、一瞬彼女の動きを止めさせた。
「僕を殴ってくれ!!」
 言葉を発した瞬間、女性は直人の頬にビンタをした。物凄い綺麗なバチンッと言う音が店内に響く。
 阿吽の如く素早い展開に、さと子達も驚く。
「ご、ごめんなさい……!」
「いや、良いんだ。それで、手紙のことなんだけど」
「言わないでええええ!!」
「殴ってくれ!!」
 またもや発した瞬間にビンタをした。物凄く理不尽で痛そうなのだが、唯一気づかいを感じるのは、2回目は1回目に打った方とは逆だと言うことだ。しかし、その恐ろしい光景にハンちゃんは震え、ひたし様は静止する。スーさんは同じことの繰り返しに飽きてきたのか、さと子の背後に移動すると、達海が見えて無いことを良いことに、さと子の髪の毛をいじり始めた。
「大丈夫かしら」
 小声で達海に問いかける。
「もう少し辛抱しよう」
 さと子は頷くと、また2人に視線を戻した。2発も強いビンタを食らっているのに、直人は赤くなった頬と裏腹に涼しい顔をしている。目に見え過ぎなドM加減が恐ろしい。
「ご、ご……ごめんなさい」
「良いんだよ、耐えられなくなったら、その度に僕を殴れば良い」
「そんな!」
「良いんだ。それで君が幸せなら、僕も幸せだ!」
 歪んだ愛の形だ。だが需要と供給は上手いこと循環している。奇妙な感覚に、さと子も苦笑いせざるを得ない。
「おい」
 スーさんに肩を突っつかれ、スーさんの指さす方を見る。
 ……泣いている。マスターが白いハンカチを目に当てて泣いているのだ。意味が分からない。全然泣ける部分など無いのに。
 そんなマスターはさておき、さと子は視線を元に戻す。一応後でマスターのことも見ておこう。
「手紙のことだが」
「あ……うぐぅ……」
「そうだね。ちょっと一発殴っておこうか」
 直人が優しく言うと、それとは真逆な強いビンタが直人を襲う。頬を当てて痛がりながらも、途中から爽やかな笑顔に変わる直人。
「でさ、手紙」
「くっ……!」
「よしよし、殴っておくれ」
 お決まりのごとくビンタの音が響く。やはり、左右ごとにビンタをするらしい。優しいのやら厳しいのやら。
「てが」
「くぅぅ……!!」
「殴れ!!」
 彼女はビンタをする。このワンシーンだけを見ると、青春ドラマの一片のようだ。なぽりんは前例の無いラブの形に胸を躍らせている。
 そんなことがかれこれ30分続いた。さと子もげんなりとしてきた頃には、叩く方も叩かれる方もげんなりとしていた。女性は叩くこと、そして感情の乱れの疲れであり、直人は体を大きく動かして会話を続けていたことのようだ。叩かれた痛みはあまり関係ないらしい。
「そ、それで……手紙のことなんですけども……」
「は、はい……」
 疲れ果てた女性は、ビンタをする気力も無くなった。深く席に座り込み、ため息をつきながら話を聞く。
「正直、今日まで手紙の存在に気づかなくって……」
「はぁ……」
「で、今日見て……」
「ひぃ……」
「すっごく可愛いなと思いまして……」
「ふぅ……」
「正直、こうやってビンタしてくれるところも好きだし……」
「へぇ……」
「勿論、貴方のピュアで女の子らしいところも好きだし……」
「ほぉ……」
「出来れば、お付き合いして欲しいのですが……」