さと子は急いで水着を持ってきたが、到底入るサイズでは無い。
「それ、今此処で着なさい」
「えっ!?」
「な、何てことを言うのですお鍋! そ、そんなはしたない……」
 さと子とひたし様が途端に顔を赤くすると、ひたし様が、「はぁ?」と顔を歪める。
「脱げとは言っとらんじゃろーが! その上から着ろっつってんの!!」
「なんだ、そう言うことね」
 さと子は半ズボンの下から水着を履こうとした。だが、よりによってふくらはぎで水着がつっかかった。まさかこれ程とは。さと子も現実が受け止められず、力技で上げようとするものの、これ以上はふくらはぎの血の流れが止まってしまいそうだ。
「う、うっそ……」
「見なさい。これが、今のアンタの姿よ」
 なべ姉は、脱衣所の隅に隠す様に置いてあった、全身が見える縦長の鏡をさと子の前へと持ってきた。そこに映る自分は、決してしばらく見ていられるような顔では無かった。それも、小さい水着を必死に着ようとしている為、水着は伸びに伸びてしまって、水着のつっかかったふくらはぎは、一目見て分かるくらいしめつけられている。
「幾ら昔が可愛くても、周りにかっこいい男がいても、生活に不自由が無くっても、今のアンタの姿はコレなの。アンタ、もっと可愛い服いっぱい着て、オシャレな水着堂々と着こなして、好きな男を振り向かせたりしたくないの?」
 さと子の後ろへ移動し、肩に手を乗せて、柔らかいあごや頬を触ったりつまんだりするなべ姉。途端に悔しくなったさと子は、ぐしゃっと顔にしわを寄せて、ぼろぼろと涙を流した。
 初めてみるさと子の表情に、いてもたってもいられなくなったひたし様がさと子の元へ近寄ろうとする。しかし、なべ姉に手で遮られてしまった。
「ホラ、泣いた顔もとってもぶちゃいく。見なさい」
 泣きながら、薄らと目を開ける。そこにいるのは、やっぱり不細工な自分の姿だった。せきをきったように、涙が止まらない。
「でもね、さっちゃんの涙、とっても綺麗よ。必死に自分の姿に向き合って、葛藤する、さっちゃんの涙……これは、本物よね?」
 さと子は体を震わせながら、頷く。なべ姉は、子をなだめる母のような優しい声で言った。
「分かるわ。貴方の心の優しさが映し出されるみたいに、綺麗な涙だもの。その純粋さがあるのに、勿体ないわよ。此処で止まっちゃ」
 膝から崩れ落ちたさと子に合わせ、なべ姉も地べたに乙女座りをし、そのまま後ろからギュッとさと子を抱きしめた。ひたし様もその場に正座をし、その状態からさと子へと近寄ってぎこちなくさと子の頭を撫でた。なべ姉は、その様子を、可笑しそうにクスクスと笑っていた。出会った頃の明るい口調に戻し、さと子の頬を人差指でつっつく。
「結局私が言いたかったのはね、貴方はまだ、ちょっと手段を選んでる所があるってこと。分かってる? 今の貴方、過度な運動したらただでさえ筋力を付ける為に傷ついている筋肉を、ただ余計に傷つけちゃうのよ? だから、少なくともあと数日は、筋力を使う運動をしない形で痩せようと努力してほしいの。健康器具とか無いしさ、かと言って全く運動しないのもやっぱりリバウンドの元になっちゃう。その中で出来るダイエットって、やっぱり限られちゃうのよ。アタシだって、一応考えた末に提案したんだからぁ。お分かり?」
「う、うん……! なべ姉、有難う。私半身浴する」
 さと子は立ち上がり、風呂水の半分近くを洗濯機に入れて回した。さと子が風呂に入るつもりだと察した男2人は、静かに脱衣所を去った。
「やはり、貴方には誰もが負けますよ。乙女心に関しては」
「あの手のタイプはね、踏みにじられて強くなるのよ。……アタシみたいにねっ」
「ですが、本当に他に方法は無かったのですか? 随分と半身浴にこだわっていましたが」
「さぁ?」
 あまりに淡白な返答に、ひたし様は目をパチクリさせる。
「アタシ美容専門だし~ほら、スタイル抜群じゃない? だから、あんまりダイエットのことはよく分かんないのよね~でも、アタシ達って痩せさせることが使命じゃない? だから、とりあえず半身浴って言っとけば女子っぽいじゃない! きゃはっ!!」
 両手を合わせ、けろっと笑うなべ姉を、珍しく冷たい目で睨みつけるひたし様。
「つまりは貴方、半身浴を無理やりさせる為に彼女を泣かせるようなことをしたと? ヒトデナシ」
「やぁ~だぁ! でも、あの子絶対痩せた方が可愛いじゃない。結構、本気でぶつかったつもりよんっ。それに……」
 今まで前や上ばかりを見ていたなべ姉は、唐突に振り返り、キザな顔つきで呟くように言った。
「アイツ、きっとイイ女になるぜ」
 雄々しい低音の声に、ひたし様の全身に鳥肌が立つ。そんなひたし様を気にも留めず、鼻歌を歌いながらタンスのある部屋へと向かうなべ姉。女性のタンスを勝手に開け、下の段からアルバムを見つけた。
「あ~これよこれ~。さと子ちゃんべっぴんさんねぇ。ん~チュッ!」
 オネェの口調をした男性が、太った女性の過去の写真に口づけをしている。見てはいけないものを見てしまったと言わんばかりに、ひたし様の顔はどんどん青ざめていく。
「さと子様、かの者の愛情、おひたしめには理解出来ないであります……」

 1時間半後、さと子は真っ白なパジャマに着替えて戻ってきた。さと子を待ってる間の2人はと言うと、結局ひたし様も混じってさと子のアルバムを見ていた。痩せることを願っている者として、やはりさと子の以前の姿は興味があったのだ。
「ちょっと、勝手にタンス調べたの? 服も入ってたのに」
「良いじゃない! 調べたのはアタシなんだからぁ」
「まぁ、なべ姉なら仕方ないかぁ」
 なべ姉が女性的だと思って許しているのだろうが、全く違う。彼は女々しさを被った化け物ですよ。そう言いたがっている口を手で押さえると、ひたし様は目を瞑った。
「それじゃあ、次は体を柔らかくする体操しましょ~ね」
「うん。宜しくお願いします!」
 いっちにーいっちにーとなべ姉が背中を押し、その勢いでさと子が前に両手を伸ばして倒れる。その動作を繰り返している間に、ひたし様はアルバムについていた僅かなキスのあとを指で消した。彼女を守らなくては。控え目な純和風青年の、小さな抵抗である。

 体操も一通り終わり、さと子の体はポカポカになっていた。もはや鍋を食べる必要が無い。
「お疲れ様です。冷えた緑茶で宜しかったですか?」
「有難う! 全然大丈夫」
 ひたし様より緑茶を受け取り、飲み干したさと子は長いため息をつく。体にたまった熱を吹きだしているようだ。
「本当に有難う。ひたし様にも優しくしてもらったし、なべ姉には愛のムチを貰えて、私改めて幸せだなって思えたよ。思い返すと、みんな良い人達ばっかりだなぁ。明日から、ゆっくり半身浴するね!」
「ええ。出来れば週一くらいはお鍋をご指名してね」
「しゅ、週一!? 鍋って急に無性に恋しくなるものだからなぁ」
「あら嬉しい。じゃあ、恋しくなった週一に宜しくね」
「恋しくなった週一……!?」
「その際は、おひたしめも是非ご一緒に!」
 ひたし様となべ姉の視線が会うと、互いににっこりとほほ笑みあった。仲良いんだなぁ。のんきなさと子は、2人の様子が微笑ましく見えた。2人を見つめていると、久々に大きな音でお腹が鳴った。
「あらさっちゃん、ゴメンなさいね。もうお腹グーグーじゃないの」
「面目ないです。結構汗かいたから」
「でしたら、我々の役割はもう終わりですね。では、また近いうちに出会えることを願って」
「アタシもお願いしちゃう。じゃあねん、さっちゃん! チュッ!!」
 2人はさと子に手を振り、料理に戻った。幾ら体はポカポカでも、美味しいものは何でも食べられる! さと子は箸を持ち、両手を合わせた。
「いっただきまーす!」
 まずは汁を一口。よせ鍋のこの塩加減は、やはりさと子の大好きなところだ。つい何度も汁ばかりを口に運ぶ。しかし、それでは大切な汁が無くなってしまう。ピンク色の鮭を食べると、煮込まれた鮭にも、よせ鍋の塩加減が良い具合にしみ込んでいた。次は春菊。独特の味が苦手だと言う方も多いが、やはり鍋にはこの子がいないと物足りない。きのこも肉付きが良くて食べ応えがあるし、しらたきなんて何時ぶりに食べるだろうか。この中にしみ込んだ汁がやっぱり美味しいんだよなぁ。どれも食べれば食べる程元の汁の味がして、汁の重要さを感じる。むしろ、この食材達があるからこそ、この汁の存在が引き立っているのかもしれない。まるで1つのチームだ。
 そして、今日のおひたしのメニューも昨日の物と似ているようで全く違う。このバリエーションのあるおひたしの様に、ひたし様ももっと色んな一面を見せてくれても良いのに。
「ごちそうさまでしたっ!」
 食べ終えた食器はすぐ片付ける。そうしないと怠けてしまう自分の性格を考え、何時もそれを習慣づけている。蛇口をひねると、食器を洗い始めた。半身浴で体の中の悪いものが抜けていったのだろうか、何時もよりも体も軽い感じがする。お風呂にゆっくりつかった後で温かいものを食べたので、眠たくなるのも早かった。さと子は早めに布団に入り、電気を消して深い眠りについた。
 今回、何が勿体ないのかを指摘していたなべ姉だったが、強いて一番勿体ないことを上げるとすれば、折角余ったお湯を洗濯水として使ったのに、そのまま干すのを忘れてしまったことだろう。

――現在の体重90キロ