彼が私に心を許しつつある、と感じていたのは、私の勝手な思い込みだったのだ。


悲しくて、寂しくて、自分が情けなくて、目頭が熱くなった。


じわりと滲みはじめた涙で、視界がゆらりと歪む。

鍵盤の白と黒がぐちゃぐちゃに混ざりあった。


それでも私は手を止めない。

何度も何度も弾いた曲だから、指が勝手に動く。

涙で鍵盤が見えなくたって、すらすらと弾ける。


流れるような旋律と、調和のとれた和音。

光の雫のような透明な音が溢れて、触れあって、混ざりあって、溶けあって、言葉にできないほど美しいメロディーが生まれる。


なんてきれいな曲、とうっとりしながら思った。


あれ、この曲、なんの曲だっけ……ふと、そんな考えが過ったとき、玄関のほうから物音がした。


「ただいま」

「ああ、疲れた」


お父さんと佐絵の声だった。

帰りが一緒になったらしい。


私はピアノを弾く手を止め、潤んだ目を手の甲でぬぐった。

それから、「おかえり」と声をあげる。

二人がリビングに入ってきた。