狂気の王と永遠の愛(接吻)を~イベント編~

 キュリオの口から"疲れた"という言葉さえ聞いたことのないアオイは少なからず動揺していた。

(もしかして風邪をひかれたとか……? そういえば今朝のお父様、湯浴みのあと髪が濡れたままだった……)

 黒板の文字をノートに書き写す手が止まったままのアオイ。心ここにあらずの彼女は隣の席のシュウの視線にも気づくことなく書きかけの文字を見つめたまま微動だにしない。

「なぁアオイ、やっぱまだ具合悪いんじゃねぇのか?」

 気遣わしげな少年の言葉と視線がアオイを優しく包む。
 
「……うん……お父様の調子がお悪いみたいで……」

「……ん? お前の親父さん今朝から調子悪かったのか?」

 魔法が使える者ならば遠く離れた人物とのやりとりも可能だが、この世界でそれができるのは限られた一部の人間だけだ。
 アオイが魔法を使えるわけもなく、伝達が来たわけでもないこの状況からみて、父親の体調不良を彼女が心配しているということは登校してくる前から知っていたとしか思えないからこそシュウはそう口にしたのだ。
 
「ううん、今朝は何ともおっしゃっていなかったんだけど……」

 あれほど近くにいたにも関わらず、キュリオの不調に気づかなかった自分が情けない。

(……お父様だったら私の不調にすぐ気づくのに……私はお父様の何を見ていたんだろう……)

「……それって直感みたいなもんか?」

 アオイの言っていることの辻褄が合っていないような気がしたシュウだが、”学校がこんなに楽しいのはふたりのお陰だね”と毎日のように嬉しそうに語る彼女が仮病を使ってまでサボる理由などあるわけがない。

「え? あっ……、そうかな……」

 授業が始まる前に城へ帰るべきか否か……悩んでいる間に一時限目が始まってしまった。
 
(いままでお父様が体調を崩されたなんて聞いたことない……)

 普段どれほど過酷な執務が続いても弱音も吐かず疲れた顔さえ見せないキュリオが不調に陥ったとなれば、城はかなり大騒ぎになっているはずだ。

(でも……ガーラント先生やアレスも居るし……)

 力を持たないアオイが<大魔導師>ガーラントを先生と呼ぶのはアレスの影響が大きい。
 兄のように常に傍にいる彼がそう呼んでいたため、幼い頃のアオイは"ガーラントセンセイ"が<大魔導師>の名だと思っていたのだ。その件に関して説明された覚えもあるが、呼びなれたものを無理に直さずともよいだろうとキュリオやガーラントは目尻をさげた。
 よく考えてみればキュリオが自身の魔法で自己治癒することはもちろん可能であることをアオイは思いつかないほどにいっぱいいっぱいになっていた。

 彼女の視線は教師が走らせる黒板の文字を追いかけているものの、その思考と手はまったく伴っていない。

「……」

(アオイのやつ親父さんが心配で心ここにあらずって感じだな……)

 父子家庭というからに互いが支えとなって生きてきたに違いない。
 愛にあふれる彼女を見るからに、父親に溺愛されて育ってきたであろうことはもちろん、同じだけの愛情を父親に寄せているアオイを見るのは不思議な感じがするシュウだ。
 それは彼の不遇な生い立ちはもちろん関係するが、この親子に関してはどこか……嫉妬のようなものが込み上げてくるからだ。

(親父さんにヤキモチっつーのもなー……うーん……)

 別な意味で授業に身の入らないシュウもまたノートに文字を刻めずにいる。
 やがて一時限目が終了すると同時に教室を飛び出したアオイをミキとシュウは驚いて追いかけたが――

「あ、あいつ誰だ……?」

 アオイよりも随分身長の大きなブラウンの髪の青年が親し気に彼女の肩に手を置いて話をしている。

「むむっ!? 制服じゃないところをみると……まさか!! 年上の彼氏!?」

「ば、ばか言うんじゃねーよミキ! おい、アオイ!!」

「あ……」

 浮かない顔で振り向いたアオイの背後でこちらへ視線を投げかけた青年。
 ラフな格好に似合わず、外套から覗く腰の剣が場にそぐわない異質さを漂わせている。

「アオイ様の……っじゃなくて! アオイさんのご友人ですか?」

 人懐っこい笑顔にあどけなさを残すその青年はアオイの横に立つと、殺気立ったシュウとは真逆に敵意など皆無のまま手を差し出してくる。

「俺、カイって言います。よろしくお願いします」

「……っ! もしかしてカイさんって……アオイの家庭教師してた近所のお兄さん!? こんなにイケメンだったわけっっ!? わ、私ミキです! アオイの大親友ですっ!!」

 アオイをよく知るミキの記憶の中で、彼女が交流してきた年上の男性と言えば"大好きなお父様"と"兄と妹のように育った家庭教師のお兄さんふたり"が候補に挙がっていたのだ。

「ははっ、面白いご友人ですね。俺はアオイさんの家庭教師……というより一緒に遊んでいた記憶のほうが多いですけど」

 ガシッとカイの手を両手で受け止めたミキは、その手を何度も上下させながら"具体的にどんな遊びですかっ!?"とアオイとカイの顔を交互に見比べながら恋の匂いはしないか!? と鼻息荒く探りを入れている。
 ラフな服装の下には、かなり鍛えられたとみえる筋肉質な体に日に焼けた健康的な肌。はにかむような笑顔を見せたカイは、爽やかスポーツ少年さながらの愛らしさと愛嬌でシュウの焦りを掻き立てるには十分な人物だった。

「……と、そちらの方は……」

 カイの真っ直ぐな瞳が物言わぬ少年へと向けられて。

「お前に名乗る名なんかねーよ。あんた知らないのか? ここは学校だぜ? 在校生以外の人間は――」

「カイ、彼はシュウっていうの。ふたりとも私の大切な友達だから仲良くしてね」

 不穏な空気を察してかどうかはわからないが、アオイの穏やかな声がふたりを優しく包んで花を添える。

「シュウさん、よろしくお願いします。申し訳ありません。今日ここに居りますのは……アオイさんのお父様のことでご伝言がありまして……学園長先生には許可を頂いているのですが、驚かせてしまいましたね」

「あ……そうだった……。アオイ、なんだって?」

 我に返ったシュウはカイとは目を合わせずアオイの顔を心配そうにのぞき込んだ。

「うん……。たぶんお疲れなんだと思う。私がお家を出たあとに体調を崩されて、まだ目を覚ましてないって……」

「? カイさんは朝からアオイんちに出入りするくらいの仲なの? 家庭教師ってもうやってないんでしょ?」

 ただただ目を丸くさせたミキの素朴な疑問に、シュウはカッと頭に血が上る感覚と小刻みに肩が震えるのがわかった。

「アオイっ!! ……っ許嫁とかじゃないだろうな!!」

「……いいなずけ? ってなぁに?」

 きょとんとしているアオイを見るからに、彼女はその言葉自体を知らないようだ。

「だといいんですが……冗談でもそんなことは言えません。アオイさんのお父様に叱られてしまいます」

「……ざけんなっ!!」

 いまにも掴みかかりそうな勢いでカイに詰め寄るシュウにミキが宥めに入る。

「まあまあシュウ、アオイのお父様に感謝だね~~~」

「……アオイさん、どうします? アオイさんがお傍に居てくださることが一番かと思いますが、無理にとは言いません」

 アオイの気持ちを重々承知しているカイだからこその選択肢の与え方だった。
 これがアレスであれば後者の選択肢は皆無であったろう。

「……私、帰る。お父様がこうなったのは、きっと私のせいでもあるから……」

「そっか、なら俺鞄届けてやるよ! お前はもう家に向かって歩いてろ!」

 異常なまでの嗅覚と運動神経が発達しているシュウだからこそできる技だった。

「俺、馬で来てますから追いつけるかどうか……」

 アオイのためとあらば火の中、水の中。
 カイの話など最初から聞く耳を持たないシュウはすでに遥か遠くまでは走って行ってしまった。

「あー、シュウは馬より速いんでたぶん大丈夫です。アオイ、早く行ってあげな? お父様にとって一番の薬はアオイ自身だよ」

「ありがとう……ミキ。シュウ……あ、お弁当……ふたりで食べてね」

「おっけ! それは任せとけ!!」

 頼もしい友人たちに背を押され、学校を後にしたカイとアオイ。
 
「……」

(……お父様大丈夫かな……)

 学校を出てから一言もしゃべらなくなってしまったアオイを支えながら馬を駆るカイ。

「アオイ姫様、大丈夫ですよ。キュリオ様もアオイ姫様がお傍に居てくださればすぐ目覚めると思います」

「うん……」

 結局、王宮の駿馬にシュウは追いつくことなくふたりは城へと到着してしまったのだった――。