夕暮れの防音室で、カルテットを奏でる。

私が吐き出す音も、耳に届く音も全てソプラノで、あの日のようなテノールはない。


そういえば、あの人の声はテノールといっても、カウンターテナーに近かった。


もう、思い出せない、彼の声。

ほんとうは、あの後、私は生きる事をやめるつもりだった。


理由は結局、教えてあげなかったし、訊かれなかったっけ。


死ぬその瞬間に思い出すような声、と言ったけれど、あれは私の願望。

死ぬその瞬間に、彼の唄が聴こえたら、きっとなんの躊躇いもなく息を止められる気がした。


わかっていたから、彼はデュエットをしようなんて言い出したのかもしれない。


それはもう― ―彼が死んだ今では、訊ねる事さえ出来ないけれど。


訃報が届いたわけじゃない。

悲報を観たわけじゃない。


彼が亡くなって数年が経ち、大学の友達と組んだ音楽グループで歌う内に、なんの前触れもなく、知った。

不慮の事故で亡くなったという彼の記事には、手術以前の活躍を記されているのみで、あの各地を巡っては好きに唄っていた事は、知る人ぞ知る彼の秘密になっていた。


切り取られた紙面を貼りつけたノートを見つけたのは、ほんとうに偶然で。

私達に目をかけてくれている先生が彼のファンでなければ、きっと一生知らないままだった。


悲しくはなかった。

彼に感じていた目眩はただの疑似的な一時の感情の表れで、数年後に地元を出た私はちゃんと大学の先輩と恋愛をして、今も順調だもの。


けれども、ふと思い出しては、彼と奏でた即興のハミングを口遊む。

すっかり癖になったそれを聴くと、メンバー全員が私を軸に音を紡ぐ。


古びた体育館での彼の唄は、思い出せないけれど。

あのカルテットだけは、忘れられない。


今も名前のないこの唄を

彼の人に捧ぐ。


夏に墜ちた、空のような唄よ。

彼の人へ、届け。


(さよなら、あの夏へ)

(20170915)