「あの……」


おもむろに立ち上がった男性が、テーブルに置いていた漫画を私に差し出した。


「お会計をお願いします」


その言葉に「はい」と微笑み、漫画を受け取ったあとでふたつのチョコレートが乗った小皿を持ってレジに行った。会計を済ませ、すべてを紙袋に包む。


「チョコレートは奥様と一緒に召し上がってください」


それを渡すと、男性がふっと笑った。


「ありがとうございます」


小さな笑顔だったけれど、間違いなく心から零れたもの。覇気がなかった表情には少しばかりの光が射しているように見え、ここに来た時には丸まっていた背中は真っ直ぐに伸びている。


「カフェオレ、ご馳走さまでした。これは大切に読むことにするよ」

「ありがとうございました」


店先まで見送ると、男性は頭を小さく下げてから歩き出した。その背中には来店した時のような暗い雰囲気はなく、振り返ることなく前に進む姿に安堵しながら頭を深く下げた。


「またのご来店をお待ちしています」


ここは、小さな本屋。
大型書店の品揃えには敵わないけれど、ひとりひとりに合った本をオススメ出来るのが自慢。


「そういえば、あの本まだ途中だったわね」


ふと、あんなにも楽しみにしていた本の存在を忘れていたことに気づいたけれど、それよりもあの男性が奥さんと話し合えることを祈りながら空を仰ぐ。


「さて、もうひと頑張りね」


男性の隣に笑顔で寄り添う奥さんを連れて彼が再び訪れるのは、もう少しだけ先の話……。
そんなことをまだ知らない私は、太陽がオレンジ色に変わり始めた空に向かって伸びをし、明日はどんなお客様と出会えるのだろうと微笑んだ──。






END.