女房が待つ部屋の前で、惟道は耳を澄ませた。
 人のいる気配はないが、ぴちゃぴちゃという音が微かに聞こえる。
 そろ、と戸を開けると、むっとする血の臭いが鼻をつく。

 相変わらず細い灯りの元、部屋の中には血の海が広がっている。
 通常の人間ならば腰を抜かすだろうに、惟道はぐるりと部屋一面に飛び散った血を眺め、僅かに顔をしかめただけだった。
 これを掃除しなければならない、と思っただけで、うんざりする。

 それからようやく、惟道は部屋の中央の塊に目を落とした。
 血達磨で倒れているのは、言うまでもなく付き添いの女房である。

 その上に、毛の長い猿のようなモノがいる。
 ぴちゃぴちゃという音は、そのモノが立てているのだ。

 不意に、そのモノが顔を上げた。
 大きな金色の目玉が、惟道を見る。
 その下の口元は、べっとりと血に濡れていた。

 束の間視線を合わせていたが、物の怪は血濡れの口元をきゅっと歪ませた。
 笑ったらしい。
 そして、細い腕を持ち上げ、鋭い爪の指を惟道に向ける。

『……次は……お前……』

 耳障りな声で言い、長い舌でべろりと口の周りの血を舐める。
 けけけけ、と笑い、物の怪は、びょん、と後ろに飛ぶと、そのままびょん、びょん、と部屋の隅の闇溜まりに消えた。

「……」

 惟道は何の反応も示さず、出来るだけ血を避けながら部屋に入ると、死体の傍の燭台に近付き、ふ、と息を吹きかけた。
 部屋の灯りが消え、惟道の持っている手燭の灯りだけになる。

 惟道はもう一度部屋の中を見回すと、やはりうんざり、というように息をつき、何事もなかったかのように部屋を後にした。