星を見に行こうと言い出したのは彼からだった。僕は彗星なんてものの存在さえろくに知らなかったけれど、彼は誰かからその噂を聞いて、真っ先に僕を思い出したと、そう言った。

その言葉が嬉しくて、何度も何度も頷いた僕を見て、彼はとても嬉しそうに微笑っていた。彼は星が好きだから、彼は空が好きだから。微かに感じた違和感を、そうやって誤魔化した。

遠い昔、僕たちの知らない世界でも、誰かがこうしてここで、空を仰ぎ見たのだろうか。細い指を繋ぎながら、それ以外に想いを伝える術も見つけられないまま、この枝の隙間から、通りすぎるのかもわからない気まぐれな星の欠片を待っていたのだろうか。


「あっ」


彼が突然そう言って、空の真ん中を指さした。慌てて指の先を見つめてみても、さっきまでと同じように狭い空と、そこに貼り付いている黄色い月以外には、何も見えなかった。食い入るように空の真ん中を見つめながら、今夜ここを駆けて行くはずの彗星を必死に探していると、隣から、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。


「……ふふっ」

「ひどいな、からかったの」

「ごめん、嘘なんだ」

「嘘?」


彼の細く柔らかな髪が、僕の肩にふわりと触れた。僕の肩に頭を預けたまま、ちいさく身じろぎした後で、彼はとても静かに、そしてとても優しい声でもう一度、ごめんね、と呟いた。


「彗星なんて嘘なんだ。本当はそんな話、誰からも聞いてない」

「どうしてそんな嘘ついたの」

「……ごめん」


彼を責めたつもりはないのに、しおらしく謝られてしまって、僕は何と言ったらいいのかわからなくなった。嘘をつかれたことなんてどうだっていい。それよりも、嘘をついてまで今日彼がここに僕を連れてきたかった理由に、僕は心のどこかで怯えていた。


「歌を聴いたんだ、」

「歌?」

「紺色の空を、七色の彗星が尾を引いて飛ぶ夜の歌。空はどこまでも広く、果てしなく繋がって、遠く離れた恋人同士を彗星が結ぶんだ」


僕を見上げた彼の目に、月の明かりが反射している。僕は彼が一体何を言いたいのかわからないまま、ひとつ頷くことしか出来なかった。

遠く離れた恋人同士を、

その言葉が鮮明に、頭のなかをぐるぐると回っている。じっと僕を見つめる彼の目は、まるで何かに怯えているようだった。僕は思わず、透き通るような彼の頬に指を這わせて、何も言わないまま、そっと、キスをした。


「きみがすきだ、」


ふわりと笑った彼の唇が、そう紡いだ。愛おしそうに僕を見つめる彼の目には、やっぱり月明かりがきらりと反射していた。すきだよ、ともう一度、細い声でそう言って、彼は泣いた。

さようならと、言われているような気がした。


「空は繋がってるんだって」

「うん」

「きっといつか、本当に彗星が、」


僕らの頭上を、尾を引いて飛んだ夜に。


「こうして隣にいられなくてもさ」


寂しくなんてないんだよ。だって空はどこまでも続いていて、遠く離れた恋人たちを結ぶのだから。


「きみがすきだよ」


そうして、もう一度キスをした。

彼はそれ以上何も言わずに、ただ僕の手をそっと握ったまま、静かに泣いていた。僕には理由を聞くことができなかった。たとえ理由を聞いたところで、僕には何もできないのだろうとわかっていたから。

彼がこうして涙を流すことで、僕がそれを拭うことで、すべてが美しいままに終わりになるのなら、彼がそれを選んだのなら、きっとそれが一番正しいことなのだろう。

でもね、

僕は知っているんだ。きっとこの夜が、思い出なんかにならないこと。思い出にする暇もないほどの、大きな大きな傷になること。まるで未来を見て来たようにはっきりと、鮮明に、予感と呼ぶにはあまりに激しすぎる気持ちで。

僕は、知っているんだよ。



【彗星の墓場】


(美しいままに、悲しみにさえなり損ねたこんな夜を、僕はきっと、いつまでも)