そして彼は空を指さして微笑った。


昨日の雨で泥濘んだ街灯ひとつない獣道を抜けて、月の明かりだけを頼りに目指した場所は、僕らの秘密の隠れ家だった。

真っ赤な花の首を落とした椿の木を月が照らして落とした影が、僕らの影と重なっては離れてゆく。ふと前を見ると、足元から数歩先に咲いている花の色さえわからないほど、道は暗闇へと続いていた。なんだか急に恐ろしくなって、繋いだ手にぎゅっと力を込めると、同じだけの強さが返ってきた。僕はその瞬間が好きだった。

虫の声ひとつしない夜道をひたすらに歩いて、そうしてしばらく進んだ先に、一際大きな椿の木が立っている。誰が手を加えたわけでもないのに、木の足元には背の低い草花ばかりが広がっていて、柔らかい草の敷き詰められた1.5畳ほどの小さな中庭のようになっている。僕らは互いに手を引き合って、腕を広げた椿の枝に隠れるように、ちいさく丸まって肩を並べた。

冬と呼ぶにはあまりに鮮やかに花の咲く、春と呼ぶにはまだ風の冷たい夜だった。月の明かりを受け入れるために空いた穴のように、僕らの周りには暗闇以外に何もなかった。風が吹いて、葉を揺らして、赤い首をぽとりと落とす音を聞きながら、彼は不意に、僕を見た。


「月を目指してね、落ちるそうだよ」


枝の陰から覗き込むように空を仰いで、木々の隙間にぽっかり空いた狭い空の端から端を細い指でそうっとなぞったきり、彼はそれ以上何も言わなかった。僕はそれにひとつ頷いて、やっぱり何も言わなかった。

きっと街中の誰も彼もが、今この瞬間、同じようにこうして空を眺めているのだろう。今夜は彗星が、僕らの頭上を駆けて行くのだという。