落ち着いて。ゆっくり。
心の中でそう唱えて泳ぎ、息が続かなくなったところで床に足をつく。
振り返ると、あたしはスタート地点から10メートルほど進んだところにいた。
これって……
「すごい!!新記録!」
思わず叫び声をあげると、スタート地点で佐野くんが笑っていた。
「やればできるじゃんか」
佐野くんに褒められ、嬉しくなる。
「しばらく、今の練習続けてみろよ」
「わかった!」
佐野くんの言葉に元気よく頷く。
そうして先へと泳ごうと前を向くと、佐野くんがあたしを呼んだ。
「早瀬」
「ん?」
泳ぎ始めるのをやめて振り返ると、佐野くんがあたしのほうに向かって泳いでくる。
その綺麗なフォームを眺めていると、あたしの前で止まった彼が水から顔をあげた。
濡れた前髪の向こうからジッとあたしを見てから、佐野くんが手のひらでそれを掻きあげる。
「お前、ゴーグルなしで水の中で目開けれてる?」
「うーん、たまに?」
そういえば、ゴーグルとかつけてなかったな。あってもなくても、どうせ泳げなかったし。
水泳キャップを触りながら答えると、佐野くんが苦笑いした。
「たまに、なんだ」
佐野くんが独り言みたいにつぶやいて、プールサイドを見上げる。
あたしから視線を外した佐野くんの横顔を見ていると、彼が不意に大きく腕を振り上げた。
「高崎、向こうに置いてる俺のゴーグル投げて」
佐野くんがプールサイドに向かって声を上げながら大きく腕を振る。
次の瞬間、黒っぽい何かが、宙で緩やかな放物線を描きながら彼の方に飛んできた。



