「もうそろそろお時間ですよ、ひよりお嬢様」

憂鬱な物思いに耽っていると、父の秘書長を務めている久野さんが呼びに来る。

父よりもよっぽど私にやさしく接してくれる久野さんの顔を見ていると、「お見合いなんてしたくない」って子供の様にダダをこねてしまいたくなる。けれどこんな休日のはずの土曜日にまで我が家の私用に付きあわせてしまったことを思うと、大人しく頷くしかなかった。


「わかりました。………でもごめんなさい、久野さん。もう一度だけお化粧室で鏡見てきていいですか?」
「結構ですが、今日のひよりさんはもう十分おきれいですよ?……私は先にロビーで待っていますね」



化粧室で鏡を前にしてまたため息がこぼれる。


今朝お父さんに「ホテルでうまいランチを食わせてやる」と呼び出され、久野さんが車で迎えに来た時から嫌な予感はしていた。

でも昨日タカミさんと話しているときに、あんな傲慢で自分の好き勝手に生きているように見える父にも、私たちに言えずにいる苦労があるのかもと思い、邪険にするのが気の毒になって「うん、わかった」と素直に応じてしまった。

けどそれが失敗だった。

ホテルに着くなりレストランじゃなくていきなりエステに放り込まれ、衣装室に放り込まれ、美容室に放り込まれ。気付けばこれから間違いなくお見合いをさせられるに違いない姿にされていた。


憂鬱すぎる気持ちのまま化粧室を出て行くと、このホテルで今日挙式するのであろう色打掛姿の花嫁さんが私の目の前を通り過ぎていく。

私には何もめでたいことなんてないのに、その花嫁さんよりも豪華な振袖を着ていることが途端に耐えきれないくらい恥ずかしくなってくる。あの花嫁さんのように、隣でしあわせそうに寄り添い「きれいだよ」と褒めてくれるひともいないのに。


「………いいなぁ」


自分が結婚どころか恋愛したいのかどうかもよくわからないけど、ホテルの利用客からすれ違いざまに「おめでとう」と祝福されて、すこし照れたように会釈する花嫁さんを見てうらやましくなってくる。



「あ。……もう時間だ……」

ロビーで時計を気にしながら立っている久野さんが見えたから慌てて駆け寄ろうとすると。


「きゃっ」


周りをちゃんと見ないまま歩き出したから、誰かに思い切りぶつかってしまった。

「ごめんなさい、大丈夫?」

私が謝るよりも先に気遣いの言葉を掛けてくれたのは、スマートなブラックスーツを着こなした女のひとだ。私より年上で、華やかなメイクが似合っている、見惚れそうなくらいの美人だ。