「いくら女好きだからって就業中に口説くのはナシだろ?そういうのは定時を過ぎてからやれって」
「大きなお世話だ。こんなところで覗きをしている悪趣味な山口には言われたくないな」
「はいはい、俺は基本自由恋愛主義だけど一つ忠告しておくよ。三美さんに手を出そうとしてるなんて社長に知られたら、おまえ間違いなく左遷だぞ、左遷」

半分茶化すように警告してくる山口さんに、清木さんはなぜか不敵に笑む。

「何言ってるんだ。左遷が怖くて好きな女を口説くの辞めるヤツがどこにいるっていうんだ」

山口さんはひゅうと口笛を吹くと、「おまえのとこの課長が探してたぞ、早く行かないとほんとに左遷になるかもな」なんて言い捨ててさっさと出て行く。清木さんもすぐにその後に続くけれど、

「そんなわけで俺本気だから。今度必ず、ね?」

私を見て念を押すようにそう言い捨てていく。


何も知らない頃だったら有頂天になっていたんだと思う。でも清木さんが惹かれているのは私自身じゃなくて社長令嬢という肩書きだ。他の誰でもなく清木さん自身の口から聞いたことだからそれは間違いなかった。


『今まで付き合ってきた女見れば分かるだろ?あの子が俺のタイプじゃないって。でもそれを差し引いても『ミツミ飲料』ってブランドは魅力的だよ。もしかしたらそのブランドが自分のモノになるかもしれないと思えば、三美さんも十分魅力的な女に見えてくるし』

私を夢の世界から醒まさせた、清木さんの言葉。


それでももし私が家の肩書以外にも魅力のある人間だったら、清木さんの気持ちをいつか本物の恋に変えることが出来たのかもしれない。そして私も清木さんの甘い言葉に今も素直にしあわせを感じることが出来ていたのかもしれない。

でも私は『社長令嬢』という自分には過ぎた看板以外何も持っていない。こんなただのつまらない女は、きっとこれからも誰かに好きになってもらえることも、誰かに恋をすることもない。


でもいい。恋が出来なくても、私にはたのしみがあるから。


「……今日も定時ダッシュするか」


急いで行けば18時前からお店に立てる。今日は涼子さんのどんな素敵なテクニックと珈琲を拝めるんだろう。想像だけで浮足立ってくる。


私には大好きな珈琲とあのお店さえあればいいんだ。