そして、ある日の啓さん。


「深雪。後ろのぼっこ取って、こっちに持ってきて」


犬舎のランの檻に何らかの不具合があったらしく、啓さんはそれを直そうとしているのは分かった。
「分かりました!」って返事したはいいものの。


『ぼっこ』って何よ?


アタフタしながらキョロキョロして、どれが『ぼっこ』っていうアイテムなのかしらと頭を捻る。
私の後ろにあるのは予備の犬用の水飲み器と、どこにでも落ちているであろう木の細い棒が何本か。


とりあえず器を手に取ると、啓さんのイラついた声。


「おい、ぼっこって言ってるしょ」

「ぼっこ?」

「…………………………え?」


2人で顔を見合わせる。
しばらくして啓さんは何故か人をバカにしたように鼻で笑うのだった。


「あぁ、そういや元々あんた東京の人だったな。なんつーか田舎くさいからか1ヶ月経ってすっかり忘れてた。『ぼっこ』って『棒』のこと」


だいぶ失礼なことを言っているというのに、否定出来ない自分が悲しい。
足元に落ちている木の棒を『ぼっこ』って言うなんて、東京じゃ考えられない。


他にも驚いたのは、手袋を『つける』とか『はめる』とか、そういう言い方を『はく』と言う。
手袋をはく。
これはかなり日常的に使われている。
最初の頃は戸惑ったのを覚えている。


時々テレビとかで聞いたことのあるような『めんこい』(可愛い)とか、『しばれる』(寒い)とか、『おっかない』(怖い)とか、それくらいは理解出来ていたけど、そんなのまだ序の口らしい。
私の知らない方言は数え切れないほど存在しているのだ。


泰助さん曰く、ゴリゴリの北海道弁を操る人は若い人には少なくなってきたようなんだけど。
ほぼ標準語を話すけど、イントネーションが違っていたり、少し北海道弁が見え隠れする程度の人が多いということだった。
ここにいる人たちはまさにそんな感じだと。