「確かにあれはなかったかもしれない」

 わたしは少し頬を赤らめた彼を見て、目を細めた。

 そのことにふっと思い出した。わたしは今までこうやって笑っていたんだ、と。

 あの彼の両親に会いに行った日から、自分がどうやって笑うのかさえ忘れていた気がした。

 仁美が言っていたのもこういうことだったのかもしれない。

 わたしたちは他愛ない世間話をしながら、その分かれ道まで一緒に歩いた。

 そして、方向が違う、交差点まで到着した。わたしは目の前の信号を渡らないといけないが、彼はここから右方向に行くはずだ。

 わたしは足を止めると彼を見た。

「今日はごちそうさまでした」

「いえ。俺も楽しかった」

 そのとき、信号が青に変わる。

「じゃあね」

 そう歩きかけたわたしは振り返った。彼はわたしを見ていたのか、すぐに目が合った。

「今日は本当にありがとう」

 わたしのいろいろな気持ちを込めた言葉に、彼はあどけない笑顔を浮かべていた。