わたしは元婚約者の弟に恋をしました

「何かあったのか?」

 彼はそうぶっきらぼうに言い放った。

「あなたには関係ありません」

 わたしはそう言い、彼の腕を振り払おうとした。だが、彼はわたしを離そうとしなかった。

「あれ、どうしたの?」

 聞き覚えのある声が聞こえた。顔を強張らせながら顔をあげると、亜津子がいつの間にかわたしの傍までやってきていた。彼女も化粧室を利用しようとしたのだろうか。

 わたしの中でさっきの話が繰り返された。同時に視界がぼやけてきた。

 なにもないと言い、席に戻ればいいはずなのに、準備時間があまりに短すぎた。

 亜津子の目があの変な男の人へと移った。彼女は目を見張ると、頬をわずかに赤らめた。

「何、この人。ほのかの知り合い?」

 彼は興奮している亜津子を冷たい目で一瞥した。

 彼はわたしの手を離すと、黒いジャケットから革の財布を取りだした。そして、一万円札を取りだすと、亜津子に渡した。

「何、これ」

「こいつの支払い分」

「こんなに高くないよ。ちょっと待って。計算してお釣りを」

 雑貨屋で店員をしている性分からか、さすがに金額が高すぎると思ったのか、亜津子は慌ててそう口にする。

 だが、彼は亜津子から目をそらすと、再びわたしの腕をつかんだ。

「行くぞ」

「ちょっと」

「え? ほのか?」

 ほぼ同時に言葉が導き出され、わたしは強引に彼に店の外に連れ出されたのだ。

 そこでやっと彼の手が離れた。

「何するのよ」

「涙を堪えてまでも『友達』と一緒にいたい?」

 まるでさっきのシーンを一部始終見られていたような言葉に、わたしの胸が抉られるように痛んだ。

「そんなのあなたには関係ないでしょう。だいたいあなたは誰なのよ」

 わたしは友人への憎しみをぶつけるかのようにして、彼を睨んだ。