わたしがそこで泣きつけば、彼は婚約破棄なんて言い出さなかったかもしれない。

 だが、わたしには出来なかった。わたしは彼といる間、いい人であり続けたのだ。彼に対していい人でいたいという気持ちが優先していたのか、もしくは彼にわがままを言う方法がわからなかったのか、判断しかねた。

「分かった」

 わたしは何とか言葉を絞り出した。敢えて淡白に、感情は乗せなかった。

「じゃあね」

 彼の返事を待たずに通話を終了したとき、わたしを支えていた糸が切れた。大粒の涙が液晶の上に零れ落ちた。

 彼は優しい人間だ。同時に優柔不断でもある。わたしと彼を恋人同士まで引き上げた彼のやさしさが、ここでわたしを苦しめるようになるとは考えもしなかった。

 彼はまだあの人が好きなのだろうか。わたしの知らない子供時代の二人を想像して、虚しさだけが湧き上がってきた。