自分でも他人事みたいなんだけど、子どもの頃、ものを食べなかった。
 もともと小食だったんだ。でも10歳くらいのときから、まったく食べなくなった。
 飲み物しかうけつけない。母親にむりやり食べさせられても、吐いてしまう。
 病院で点滴してもらったり、心療内科・精神科に行ったりしても進展しない。飲む栄養剤ばかり飲まされたよ。でも原因がわからないんだ。どんどんやせていった。


 あるとき、母方の祖母から電話があった。俺をつれてこいとのことだ。
 祖母は占い師。母の家系には代々その血があり、時々ぽっとすごい能力者がうまれる。祖母がまさにそう。母は、まったく顕現しなかった。
 祖母は長い間、じっと俺をみていた。
「……大丈夫だよ。この子は生きる。でもお前はこの子に注意しなさい。転機がないと、人生が不幸になる。いい転機が訪れるように祈りなさい。親として愛情をそそぐことはもちろん大事だが、本当は、祈る以外にできることはない」
 母の心臓は早鐘のように打っていた。
 しがみついていた俺には、間近にきこえた。


 祖母の言うとおり、食べなくても生きられた。減りつづけた体重も底をうった。不思議なことに、背はのびた。声がわりもあった。年相応の成長はしてたんだ。食べないのに。思い返すと気味が悪いな。母はよく泣いたし。
 10歳から16歳まで何も食べなかった。学校では嫌われものだった。
 自分としてはふつうに生きていたんだけど、いつも頭の一角が、どす黒いもやがかかったようになっていて、常にそれを意識していた。その、何かわからない謎のものを守るために、エネルギーをいつも使わなければならなかった。いらないけどアンストできないアプリみたいなもんさ。維持するために電池を浪費してる。夢はよくいやなものをみた。どうにもできない状況においこまれる夢。


 15歳のとき、ある団体の幹部から接触があった。
 宗教団体K。
 有名ではないけど、信者は多いらしい。
 俺はまったく知らなかった。その幹部から教祖の写真をみせられて、息がとまった。俺にそっくりだったからだ。
 30すぎらしい。奇妙に若くみえる。
 俺はこの頃から、笑うと口もとに深いしわができて、妙に年よりに見えた。でもそれをさしひいたって、立ち方やまとった空気がそっくりだ。何枚か写真を見せられた。見れば見るほどにている。
 彼はそれを見せただけで十分だと思ったようだ。
「いま、このお方はお忙しくてね。お言葉を待っている人がたくさんいるのに、声さえ届けられない。そんなとき、やっぱり待っている人たちは落胆するんだ。わかるかな?」
 俺はうなずいた。
「君にお願いがある。このお方の特別な「お言葉」を、代わりに読んでほしい。原稿はこちらで用意するし、私がいうように読んでくれればいい。もちろん、謝礼は出すよ」
 幹部の男はきれいな、でも新品ではないスーツを着て、姿勢がよく、細いフレームの眼鏡をかけていた。30代後半か。丁寧に、やや人を見下したようにしゃべる。何度かこの人としゃべったが、何を考えているのか、何を本当には望んでいるのか、一度もわからなかった。
 謝礼は多額だった。俺はひきうけた。
 母を楽にしたかった。一人で俺を育ててくれていたから。看護師で、いつも疲れていた。
 俺には負い目がある。母は祖母のことが好きではないのに、俺が食べないせいで、ときどき会いに行かなくちゃならなかったからだ。母を苦しめているのは俺だった。



 言われるがままにセリフを読んだ。
 週に1回ほど、幹部の男が来てビデオカメラで撮影する。「Kの本部に連れていかれるのでは」とビクビクしたが、いつも街中の特定のスタジオで撮った。俺を教団に入れても仕方ないと思ったのだろうか?そこは壁がまっ白で、小箱に入れられた鳥のような気になった。
 セリフは抽象的で、何がすごいのかわからなかった。「現世がつらいほど、私たちの楽園は、より私たちのものになるのです。より鮮明になるのです。あなたはそれを必ず夢に見るでしょう」、「苦しい、貧しい、出口がない、上がない。そんな者のためにこそ、人生はある。あなたがたのせいではありません。あなたが悪いのではありません」。そんな感じだったな。それより、紺色の布を肩からかけさせられ、幹部の男にじっと見られるのに緊張した。布からも男からも、ねちっこいお香のような匂いがした。
 男から、細かい指示がある。「もっとゆっくり。意味はわからなくても、言霊をこめてくれ」「これから俺が言うイメージを想像してくれ。最初の一行を言うときは、金色の帯。天の川のようなものを想像して。二行目は薄い、輝く青を……」。色のイメージ、身体の力の抜き方、手の位置、呼吸の速さ、姿勢などをいわれた。それは実際の教祖が見たイメージ、しぐさだということだ。
 半年続けた。
 俺はおかくなっていった。いつも心の隅にあった黒いものが大きくなり、実際に目の前が真っ暗になったり、記憶がなくなることもあった。頭痛がした。考えても仕様のないことを延々と考える。何も食べない。しゃべらない。
 いつの間にか、唯一の楽しみが、その「撮影」になっていた。
 指示されたイメージを思い浮かべる。何度もテイクを重ねる。すると本当に、その言葉に血がかよう瞬間がある。
 実際、俺は「上手く」なっていった。「手ごたえ」がある。
 達成感。
 そんなときは、男もほめてくれる。
「今日はとてもよかった。このビデオを見る人たちも喜んでくれるよ。最初は懐疑的な人もいたんだ。でもいまは大丈夫」
 最後の撮影の日。俺はかなりうまくいえたと思った。幹部の男はいつもより静かだった。
 撮影が終わったあと、男に電話がかかってきて、数分話していた。通話のあと、男が俺にまっすぐ近づいてくる。
「トーマ君、あのお方に会ってみる?」
 言葉を失った。
 やっぱり、教団にひきこまれるんだ。半年たってそういう方針になったのか。動悸がして、何をいえばいいのかわからず、指先がふるえた。だめだ、こんなことをしていては。拉致される。早く逃げないと……。
 そう思うと同時に、でも、会いにいけばいいじゃないか。という声がきこえた。
 あの言葉をいってる人に、会ってみればいいじゃないか。もっと理解が深まるぞ。
 会うことの、なにが問題なんだ?
 その声は頭のなかからきこえたのだが、かなり堂々としていた。ささやく悪魔ではなく、ふつうに意見をのべる青年みたいに。俺の頭は想像以上に、それに堂々と占められていたんだ。そのことに驚いた。
 しかし結局、会うことはなかった。黙っている俺をみて、男はなにか判断した。彼はスタジオのスタッフに目配せした。(たぶん彼らも信者か幹部だったのだ)
「無理はしなくていいよ。今日はやめようか」
 あっさりと解放された。
 つぎに撮影の連絡がきてもことわった。もうできなくなったから、と言った。幹部の男は何度も言葉を変えてさそった。「君にはいい力があるのにね。もったいないよ」。それはあのセリフと同じような言葉だった。ここの人たちはそういうしゃべり方しかできないのか。
「ごめんなさい。お金なら、いくらか返します」
「うん、まあ、契約書を交わしたわけじゃないからね……」
 後で知ったのだけど、俺がバイトを始めた頃、教祖は体調を崩していたらしい。半年後には回復していたらしく、俺は用なしになったのかもしれない。
 当時は知らなかったから、恐ろしかった。いつ拉致されて洗脳されるのかと。
 でもそれから、接触はなかった。最後の月のお金はふりこまれなかった。けどそんなこと、どうでもいいよな。新興宗教ってだいたいお金に汚いのにさ。幸運だったよな。

 

 そのときのお金と奨学金で、俺は大学に通ってる。母にあげたかったんだけどね。宝くじが当たったっていっても、信じなくてさ。ずっと疑ってた。最終的に、「悪いことで稼いだお金でないなら、それで大学にいきなさい」って。それだけが願いだったらしい。べつに俺は、行かなくてもよかったんだけど……。だってすぐに大事なものがみつかるから。



 16歳になった。
 俺の人生でもっとも素敵なことが起きる。
 落語を聞いたんだ。



 チケットをもらってきたのは母だった。
「母さん仕事でいけないの。いってきてよ? 感想おしえて。もらいものだから、きちんと感想とお礼いわなきゃいけないじゃない」
 落語なんて。
 のり気じゃなかった。
 席にすわって、聞きはじめても、何をいってるのかよくわからない。
 ただ最初から、それは音楽に聞こえた。
 心地いいリズム。
 その音楽はストレスの対極にある。
 意味がわからなくても、聞いている者を噺の世界にのめりこませる、前のめりにさせる力がある。
 延々とつづく、様々な声色があった。自由自在の緩急があった。

 ときどき、会場が爆発的に笑った。
 次第に、するすると緊張がほどけるように笑えてきた。

 まわりの笑い声にも触発され、初めてこんなに笑った。
 高座をきくのは、笑う「手ほどき」をしてもらうことだった。手とり足とり教えてもらう過程だった。
 「話す」ことに技術がいるなんて。考えたこともなかったよ。俺が「笑う」のに手ほどきが要ったっていうのもびっくりしたけど。
 高座ってすごいよな。人が出てきて話をする。その入り方からはけ方まで技術がいる。いろんな噺があるけど、どんなふうに改編してもいいし、どんなオチにしてもいい。
 でもたしかに味があってワザがあって、名人がいる。もう「職人」なんだ。いや、違うか……、やっぱり「噺家」は「噺家」だよな。
 俺は奇妙な子どもで、どうしようもない混乱の人生をグルグルまわっていた。百戦錬磨の噺家たちは、すました顔で俺の手をとり、そちらの世界にひきこんだ。すべては一変した。



 そこでは、もう一ついいことがあったよ。
 開場時、俺はどこに座ればいいかわからなかった。寄席って自由席だろ。そのうち、真ん中のいい席はとられて、はしっこと前の席が残った。所在なく、前方の左端のブロックに行った。
 5列目が一つ空いていた。隣には同い年くらいの女の子が座っている。
 不思議だった。だって、ほかは老人ばかりなのにな。
 小柄で、ポニーテールをうまくまとめている。後ろと横からみると、小さい頭と首回りがスッキリしすぎていて、不安なくらいだ。近くでみると柔和な丸顔。
 彼女は俺に気づき、見あげた。
「座ります?」
 その目は、水をたたえた湖のようだった。腰をうかして、ひとつ奥にずれてくれる。
「真ん中の方がみやすいから。どうぞ」
 俺は座った。椅子は温かかった。



 俺の人生にないもの。それは食欲だけじゃなかった。笑いと性欲。それを得てはじめて、それがなかったことを発見したんだ。そんなこと思いつきもしなかった。
 その全部が、寄席にいったら手にはいった。不思議だよな。どういう因果なんだ?