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スピードを上げ過ぎた自転車に急ブレーキをかけると、キキッと高く耳を突く音が一瞬セミの鳴き声をかき消した。
これが合図だ。10秒もしないうちに2階の窓が開いて、詞織がひょっこりと顔を出す。
「さーくー!」
そんなに叫ばなくても聞こえているって。
彰さんが普段駐車しているスペースの端に自転車を止めて、インターホンを押すとスピーカーから詞織の声が届く。
「どちらさまですかー?」
「朔ですが」
「どちらの朔さんですかー?」
「いや詞織、もういいだろ」
これは最近の詞織のお気に入りだ。
夏休みに入って1週間、毎日詞織の家に通っていて、3日前からこの遊びが始まった。
ある程度は乗ってやっているあたり、俺も詞織には相当甘い。
鍵が開く音と同時に、詞織が顔を覗かせる。
相変わらず薄手のカーディガンは羽織っているけれど、ばっさりと肩上まで切った髪が涼しげで夏らしい。
長い髪を見慣れていたから、一昨日家に来た時は驚いた。
白い肌に白いうなじ、可愛いというより、綺麗だ。
「む。荷物少ないね」
「まあ、歯ブラシと着替えくらいしか持ってきてねえからな」
自転車のカゴに収まるサイズのショルダーバッグが膨れているのは、寝巻きと明日着替えが入っているせいで、他には何もない。
どうせ1泊するだけだし、なんもいらんだろ。
詞織が毎日しつこく誘ってくるから、俺も折れるしかなかったんだ。
楽しみにしていなかったというと、嘘になるけれど。
「パンツ持ってきた?」
「はあ!?おまえな…女子がそんな事言うもんじゃねえよ、バカ」
「はあ?って言うの、朔好きだよね。服は貸せても下着は無理だから言っただけだよ」
別に好きじゃねえよ。意表を突かれると、つい出てしまうだけで。
「あのな、詞織の服が入るわけあるか。破けるぞ」
「あ、そっかぁ。だぼってしたのもあるんだけどな」
そういう問題ではないのだけれど、俺の言い方が悪かったという事にしておこう。でないとこの不毛なやり取りは延々と続く。