躊躇っているというよりも、ただひたすら困惑している様子で視線を泳がせる詞織の声がよく聞こえるように、耳を澄ます。
風の音も、水面が揺れる音も、桜の枝が撓る音も、どこか遠くに押しやって。
詞織の声が、聞こえるように。
「朔。またね」
「ああ、またな」
小さな約束をしよう。
たとえば夢の中で思い出して、そっと笑えるような、そんな約束を。
小指を繋ぐわけでもなく、明確な何かを目的とした約束でもないけれど。
また会えれば、それでいい。
今日みたいに間を空けて、というのは俺にとっては困るし、詞織も会えるかどうか不安だったという。
火曜日と木曜日と土曜日なら、病院の中庭に居ると教えた詞織が少し不安げなのは、必ず居るとは断言出来ないからだろう。
「帰りに前通るからいいんだよ。大人しく待ってろ」
「えぇ…大人しくしてるのって苦手なんだけどな」
「入院してるやつが何言ってんだ。お前な、まずその格好で帰って怒られる事わかってるか?簡単に出て来られなくなるに決まってるだろ」
というか、今回はどうやって抜け出してきたんだ。
あの病院、そこそこ大きいくせにいいのかよ。
大きいからこそ目が行き届かないのだろうけれど、そこを突いて抜け出すような奴もいるんだぞ。
詞織とか、詞織とか…詞織しか知らねえわ。
渋々頷く詞織の頭を撫でると、さっきとは違って照れている。
何なんだこいつは、本当に。
濡れた合羽を脱がせると、その下は前とデザインが違うだけのパジャマ。
いい加減学習しろ。目立つんだからな、白昼堂々とパジャマ姿で歩いていたら。
俺の心配は露知らず、ぎゅっと手を握ってくる詞織は、笑っていた。
何が楽しいんだよ。帰るだけなのに。
普通病院なんて居心地のいい場所じゃないだろうに、何で笑えるんだ。
小さな手のひらを離さないように握ると、俺を見上げて、また笑う。
ああ、そうか。
もしかしたら、隣に俺がいるから、笑うのかもしれない。