暖かな陽光。

雲一つない晴天。

1人歩くわたしを後押しするように、陽射しが背中に照り付ける。


― ―狭くて広い病室を抜け出すのは何度目かな。

パジャマ姿だと人通りが多い場所では目立ってしまうから、人気のない小道をのんびりと散策する。


すれ違う排気ガスに汚れた猫にそっと手を伸ばすと、人相が悪い割に、素直に擦り寄ってきた。

しばらく後ろをついて来ていた猫は、曲がり角でゆらりと尻尾を揺蕩わせて、どこかへ行ってしまった。


どこかほっこりとした気持ちで、また散歩を再開。


こうしていると、自分が病気だなんて信じられない。

もとから信じていないのだけれどね。


薬も点滴も手術も、治療と呼べるものは何もない。

やけに頻度の多い検査だけの退屈な入院生活は、もうすぐ四年目に突入する。


わたしはいつか深い眠りの底に沈んでしまう病気らしい。

正式な名称は忘れてしまった。長ったらしくて、難しい、なんか横文字の病名。


別に病名なんてどうだっていい。知った所で、どうなるわけでもない。

誰だって永遠の眠りにつく日が来る。それは当たり前で、絶対に避けられない事なのに、なぜわたしだけが特別扱いをされて入院をしないといけないのかがわからない。


帰りたいと言っても、駄目の一点張り。

お父さんにせがんでも、困った顔をして頭を撫でるだけ。


帰りたい。帰らせてよ。

お父さんが待っているんだから。


外に出る時は暗い気持ちにならないように心掛けているのに、急に悲しくなって、無性に泣きたくなる。

最近、いつもこうだ。

たまに波が来る情緒不安定。心配をかけないように明るく振る舞う事に疲れた時は、いつも外へ抜け出す。


明るく、楽しい気持ちで。
そう、自分に言い聞かせる。


けれど、意思に反して込み上げてくる涙を堪える為に、空をぐっと見上げる。


昔から、誰に聞いたわけでもないのに、頭の隅に必ずある言葉を思い出す。


【泣かないように、笑って。
また笑えるように、泣いて。】


苦しくても泣いちゃ駄目なんて、そんな事はないんだよ。

泣きたい時は思い切り泣くの。行き場のない悲しみも、涙に含ませれば少なからず外へ出ていく。

そうしたらね、きっとまた些細な事で笑えるんだよ。


でも、泣きたくないのに泣いちゃいそうな時は、違うんだ。

笑うの。

悲しくないのに、泣きたくないのに泣きそうな時は、にっこり笑うんだよ。


ふと目の前にある水溜まりを覗いて、にぃーっと頬を押し上げると、笑窪が浮かぶ。

わたしの笑窪はお母さんとお揃いなんだって。


記憶にはないお母さん。けれど確かに約11ヶ月を一緒に過ごした大切な人。


空の上ではお母さんが待っていてくれてるんだ。

あまり歓迎はされないだろうけれど、その時はきっと両手を広げてわたしを抱き締めてくれるはず。


だから寂しくない。

生きていれば、お父さんがそばにいて。

空にいくと、お母さんが待っている。


死ぬ事も生きる事も、悲しくないよ。