「オオクマ先生、お菓子ちょうだい」
同じエレベーターに乗り込んで下の階へ向かう途中、詞織がオオクマ先生に手を差し出す。
そういえば、だいぶ前に熊みたいな先生はよくお菓子をくれるとか何とか言ってたな。
呼吸器科というと、詞織には関係がなさそうなのに、顔が広いというか、テリトリーが広い。
「そっか。お菓子ね。でもちょっと詞織ちゃんに聞かないといけない事があるんだわ」
「え、なに?」
「2階で下りないのかな?」
チン、と音がしてエレベーターのドアが開く。
一番下の階。目の前はロビーで、すぐそこには受付がある。
2階って…もしかして学習スペースって2階にあんのか?
だったらまずい。非常にまずい。
とりあえず開きっぱなしのエレベーターから下りて、詞織を肘でつつく。
どうやって逃げるんだよ。
言えないけれど、伝わるように何度もつついていると、詞織が背伸びをして声を潜める。
オオクマ先生の耳元で囁いたその声は、ギリギリで俺にも聞こえた。
― ― ―桜を見に行ってくるから、見逃して。
そんなにはっきりと白状するとは思わなくて、驚く俺とは対照的に、オオクマ先生はロビーに響き渡るくらい大笑いしだした。
「あっはっは!そりゃいいわ!素直な子は嫌いじゃないよ、先生は」
「でしょ?ね、お願い」
お願いも何も、オオクマ先生と詞織の関係は主治医と患者の関係でもなければ、そこまで親しい間柄でもなさそうなんだが。
オオクマ先生はひとしきり笑った後、ポケットから棒付きキャンディーを2つ取り出して、詞織に渡した。
「じゃあ先生、詞織ちゃんとそこのボーイフレンド君には会わなかった事にしようかな」
「やったぁ!お願いします!」
「うんうん。ちゃんと帰って来るなら良し。怒られるのは先生じゃないからな」
だいぶ無責任な事を言っている気はするけれど、黙っていてくれる、という事だろう。
ほい、と詞織の背中を押したオオクマ先生が俺を振り向いて、人差し指を突き付ける。
「絶対連れて帰る事。いいね、ボーイフレンドくん」
「や、俺はボーイフレンドじゃねえよ。ただのフレンドだから」
俺この人苦手かもしれない。
ただ、人柄は好かれそうな感じだ。俺は苦手なタイプだけれど。
何がおかしいのか、笑いながら受付の方へ歩いていくオオクマ先生の背中をぼけっと眺めていると、詞織が俺の手を引いた。
「行こう、朔」
入口ではなく、中庭のドアの方へ向かった詞織は、ロッカーの一番下から運動靴を取り出して、履き替える。
キョロキョロと周りを確認して中庭に出ると、迷いのない足取りで駐車場まで抜けて、無事に敷地を出た。



