「どうした、神田くん。先に帰っていいよ」


キョトンとした顔で首をかしげる熊谷課長は、さっき東山さんに暴言を吐いた人と同一人物とは思えないほど落ち着いていた。
そう思うと余計に止められなかった。


「上司とか部下とか関係なく、一人の男として言わせてもらってもいいですか」

「………………何を?」

「東山さんのことです」


課長の綺麗に整えられた眉がピクッと動いたのを見逃さなかった。
でもそのまま言葉を続けた。


「彼女は本気で課長のことが好きだったんですよ。それを踏みにじるようなあんな言い方、しなくたってよかったんじゃないですか」

「別に、もうあの女は必要ない。もともとあっちから言い寄ってきたから相手にしてやっただけのことだ」

「そんなの酷すぎます!」

「恋愛なんてギブアンドテイクだろ?そんなことも分からないのか、君は」

「ギブアンドテイク?そんなの分かりたくもありません!」


静かな事務所に俺の声だけが妙に響くようだった。
本当のところ心臓が痛いほどにバクバク言っていて、きっとクビになる、明日には解雇される、と天を仰ぎたい気持ちになる。
それをグッと堪えて、拳を握りしめた。


「課長としては尊敬してます。ですが、男しては最低です」

「はは、なんとでも言えばいい。良かったな、今回のことであのバカ女と俺は終わりだ。君がしっかり慰めてあげたらどうだ?きっとしっぽ振って喜んでついてくるだろう」

「………………もう帰ります。このままここにいると殴ってしまいそうなので」

「そうだな。気にするな、俺も大人だからこの件は聞かなかったことにしておいてやる」

「ご配慮ありがとうございます」


下げたくはなかったが、礼儀として頭を軽く下げて「お先に失礼します」と言い残し、事務所を出た。