恋風吹く春、朔月に眠る君



遅くなるから先に帰ってと言ったのに、朔良は音楽室で待っていた。朝会った時は了承していたが気が変わったらしい。部活が終わった後確認したスマホにメッセージが届いていた。


「なんで帰らなかったの?」

「今日は塾ないから」

「それ理由になってないんだけど」


相変わらずの適当さに呆れる。もう溜息も出ない。本当に気分が変わったらしい。傾いた日がさよならが近いことを告げるようだ。太陽のない時間がもう少しでやってくる。

茜色の空を眺めながら今日のことを考えた。木花は私が一度も口にしたことのなかったものをするすると引き出した。まるで絡まって動けなくなった糸の中でもがく私を綺麗な手が優しく解くように。

応援してると言われたのに、何も言えなかった。どれだけ私が狡くて卑怯な存在なんだと告げても彼女は私を否定しなかった。ううん、それさえも肯定して、私の存在を認めてくれるようだった。私は本当に言ってもいいんだろうか。好きでいてもいいんだろうか。

隣を歩く朔良を見つめる。不健康にさえ見える白い肌に乗った黒い髪が風に攫われていった。伏し目がちに視線を落とした顔がよく見える。確かに、朔良は綺麗な顔をしているのかもしれない。


「どうしたの?」


此方に焦点があてられた双眸が優しく細められる。不意に彩香が言っていたことを思い出した。


『古館君ってさあ、物静かでそんなに目立つわけじゃないけど、中世的で整った顔してる方でしょ。それにピアノすっごく上手だから陰ながら好きって人は少なくないんだよぉ』


そんなこと、知ってる。朔良の外見は悪くない。寧ろ良い方で、柔らかな物腰と誰にでも向けられる優し気な笑みはきっと女の子を虜にするのだろう。でも、好きなのはたった一人だけ。きっとそれは楓のことだ。

あの音楽は楓に向けられたものなんだ。私が好きでいてもそれは変わらない。それでも、この気持ちをまだなくさなくてもいいだろうか。果てもなく希望を夢見てもいいだろうか。