恋風吹く春、朔月に眠る君



電車に乗る頃には息が上がっていた。じわりと滲む汗が気持ち悪い。ホームで息を整える私をちらと見る人達。少しだけ居たたまれない気持ちになって、なんとか落ち着かせた。


 電車に揺られて帰ってきた私の住む街。家に帰ることもなく、すぐに杏子の家に向かって走った。比較的新しいオートロック付きのマンション。その7階の一室が杏子の家だ。

杏子のお父さんはなかなか忙しい人で、週の半分は家に帰らないこともあるらしい。私は未だ杏子のお父さんに会ったことがない。いつも忙しそうに弟と妹の面倒を見て、家事をしている杏子のことだから、もしかしたら家にいないかもしれない。

もしその時は出直そうと考えつつ、オートロックの前で部屋番号を打ち込む。呼び出しボタンを押して、暫く。向こうからの応答はない。やっぱり、買い物にでも出かけているのかもしれない。


「はぁ......」


もしいなければ出直せばいいと思っていたくせに、出鼻を挫かれたことに溜息を吐く。そろそろ、お腹もすいてきた。家に帰ってご飯を食べてからまた来よう。そして、杏子にはメッセージを送っておこう。くるりと踵を返して家路につく。

ここまで走り続けた疲れがどっとやってきて、足が鉛のように重かった。漸く家に帰ると、すぐに部屋着に着替えた。お昼を食べる前に杏子にはメッセージを入れておいた。

その後は家でだらだらと家で過ごした。でも、落ち着くわけもなく、スマホをつけたり消したりの繰り返し。杏子は家事を全てやっているからメッセージに気づいていないのかもしれない。

もしかしたら、今日は無理かもしれない。いきなり声をかけるのはやっぱりよくなかったと気分を落とす。時刻は17時を過ぎた頃。スマホに着信が入った。

主を確認すると、もう随分と掛かってきたことのない人からで驚いた。何の用だろう? 恐る恐る電話に出る。


「もしもし?」

「もしもし、あー、えっと、俺、司」

「うん、名前見たらわかるよ」

「そっか、連絡先消されてなかったんだ。よかった」


消されていてもおかしくないのは私の方だ。電話越しに安堵の息を漏らすのを感じて、私も緊張が少しだけ解ける。


「それよりどうしたの?」

「ああ、そう。あのさ、今暇してるか? ちょっと来てほしいんだけど」