「辛い記憶でも楽しかった記憶でも、忘れてしまって良い記憶なんてどこにも存在しないわ。
どんな記憶であれ、アヤメが今ここに生きていることを大事にするのよ。

どんな形であれ、恋していた気持ちを、忘れてしまっては駄目よ」




お姉ちゃんは柔らかく微笑み、あたしの肩を引き寄せ、優しく抱きしめてくれた。

記憶の失ったあたしに優しくし、ずっと傍にいてくれた大事な姉。

あたしは抱きつき、声を上げて泣いた。





「……桜太。
今椿さんが言ったことは、桜太にも通じるんじゃないか?」




あたしはパッと涙でグシャグシャであろう顔を上げた。

そして階段の近くに立っている桜太を見て、息を飲んだ。





「……アヤメ」




ふっと笑った桜太は、両手を広げた。




「忘れないでほしい。
俺を好きだった、アヤメの気持ちを」


「おう…た……」


「椿さんが言うように俺、手放さないようにする。
兄貴がかつて俺を支えてくれたように、俺も誰かを支えられるようにする。

アヤメが言ったように、俺…前に進んでみる。

アヤメ、一緒に来てくれないか?」






お姉ちゃんが涙を流しながら座り込むあたしを立ち上がらせた。

そして風太さんが、微笑みながらあたしの肩を叩いた。









「……桜太ッ!!」








あたしはその胸に飛び込んだ。







皆がそれぞれについた嘘。

それは哀しくも、優しいものでした。