いつもは邪険に断る誘いに乗ってしまったのは、朝からのイライラを解消したいと思っていたからだったからかもしれない。
決まって昼休み、瑠奈は一枚のメモをデスクに置く。
食事を終えて戻ると、いつも食事の誘いのメモが置かれていた。
今日もやっぱり置いていた。
それに気付き瑠奈を見て首を横に振る。それが日課だった。
けれど今日は縦に首を振った。

「江神さん、これにハンコお願いします。」
そう言って瑠奈はやって来た。
手に持たれていた用紙には仕事の内容ではなく、待ち合わせの時間と場所が書いてあった。
江神はそれに目を通すと判を押す仕草をし、瑠奈に頷いてみせた。
瑠奈もまた頷き去っていく。
むしゃくしゃした気持ちを晴らすには女と酒を交わすのが一番だった。
手頃な女が今は瑠奈しか思いつかない。
面倒くさいことになるかもしれないとわかっていても、今は欲の方が勝っていた。
理に反して、その日の仕事は捗った。
時間の経過が早い。
思いの外、楽しみにしてる自分がいてるのに驚いた。

1時間程残業をした江神は、定時で帰って行った瑠奈待つであろう、メモに書かれてた場所に向かった。
大通りから外れた路地の奥にある、そのBARは隠れ屋的な佇まいをしていた。
入口の横には看板があり、薄っすらと暗くなった世界に、薄っすらとランタンが灯って店名を照らしていた。
“shigure”と書かれた店名を横目にドア引き開けた。
店内に入るとカウンターがあり奥にはテーブル席があった。
深いごけ茶色のカウンターに、同じ色の足長の椅子が行儀良く一定間隔に並んでいる。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの奥にいる年配の男性が低い声で言った。
「待ち合わせしてるんですが…。」
「あちらに…」
そう言って年配の男性は奥のテーブル席に目をやった。
その視線を追う様に江神は、店内の奥に進んだ。
店内も薄っすらと暗く、間接照明があるだけだった。
テーブル席は半個室なっていて、席と席の間にレースのカーテンが掛かってある。
壁に面して半月の様な形のソファあり、その前に膝丈程の高さのテーブルが置かれてあった。
ソファは落ち着いた赤で統一されていて、テーブルの色はカウンターと同じ色だった。
カウンターと違って、こっちの空間は家の様にくつろげる様な造りになっていた。
「蒼、こっち。」
声のする方へ目線をやると瑠奈が手を振っていた。
「おぉ、遅くなってごめん。」
江神は人一人分空けてソファに腰を下ろした。
「ううん、大丈夫。」
そう言って瑠奈はすかさず江神との空間を消した。
「近いよ。」
「あっまた眉間に皺!」
瑠奈は眉間を指差し笑った。
「蒼は昔っから眉間に皺寄せるよね…。」
「その名前で呼ぶのやめろよ。」
「別にいいでしょ。今は二人っきりなんだし…。」
瑠奈は頬を膨らませた。
「それ、その頬を膨らませるのは、お前の癖だな。」
「え…覚えてたんだ…。」
瑠奈は嬉しそうに笑うと俯いた。
江神が思っていたよりも瑠奈との時間は、楽しくあっという間に時間が過ぎていった。
久しぶり飲む酒は、雰囲気の楽しさもあって更に美味しく感じた。