「帰りたくないなあ~……」
ため息と一緒に、本音が暗い車内にこぼれた。
「どうしてそんなに嫌なの? 公邸は実家みたいなものじゃない」
悠の白い頬が、暗闇でも微かな光を反射して光る。
「私の実家は、あそこじゃない。もうどこにもないの」
反論すると、悠が大きな目をわずかに見開く。
「それって、どういう……」
「大西、マルタイのプライベートに無闇に踏み込むな」
高浜さんに制され、悠は口をつぐんだ。
車内を冷たい沈黙が満たす。
悠の視線を頬に感じたけれど、私はそちらを向くことはしなかった。
実家がどうこうという話よりも、私には今からやらなければならないことがある。
どうにかうまい理由をつけて、篤志さんとの婚約を白紙に戻してもらう話をしなきゃ。
「……落ち着いたら話すから。どうか、今は見守っていて」
悠が、私に勇気をくれたんだ。
だから、無責任に放りだしたりしないでよ。
膝の上でぎゅっと固めた拳を、ふわりと大きな手が包んだ。
「もちろん。俺はいつだって、霧子を守るよ」
悠の優しい声が、鼓膜を震わせる。
不意にキュンとしてしまった胸が痛んだ。
SPなんだから、悠が私を守るのは当たり前。それが仕事なんだもの。
でも……ありがとう。それでも、嬉しいよ。
それきり黙っていると、車は順調に官邸に到着してしまった。
悠は、車を降りるぎりぎりの瞬間まで、手を握ってくれていた。



