私は、水紀つむぎ(みずき つむぎ)
8月27日の朝方に3100グラムで生まれてきたと母は言っていた。
と言っても母との記憶はあまり無い。
あれは、私の小学校の入学式かな?ピンクの可愛い服を着て真っ赤なランドセルを背負っていたそんな、晴れた桜の木の下だった。
母が倒れていた
真っ赤な血が、母の頭から流れていた。大人達が言うに悪質なひき逃げ事件があったと言っていた。
幼い頃の記憶はあまり残ってないが、私が赤色を嫌いになったのはその頃だったと思う。
母が亡くなり、父との2人だけの生活が始まった。
小学校までは、楽しく充実としていた。しかし、雨が降っている寒い冬の日に父の仕事が無くなった。
祖母が言うに、自営業だった父が友人の借金の連帯保証人になってしまい、友人の夜逃げによって父に返済が来たという。
父は私が小学校を卒業してから、父の故郷の田舎へと引っ越した。
そして、父の祖母の家で暮らし父は実家の農業を手伝っていた。
半年過ぎた頃、父がまた仕事を始めるといい都会に行ってしまった。その後からもう父との連絡はつかなくなってしまった。
父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっていた。祖母は1年間私を育ててくれた。でも、祖母は認知症を患ってしまった。
14歳の頃、父の祖母以外の身寄りが無く私は市の係の人と一緒に児童養護施設に行った。
私よりも小さな子供達が何人かいて私と一緒の中学生は一個上に一人いた。
狐塚 悠人 (こづか はると)さん。
優しくて、カッコよくて、面倒見が良くて。
私がこの施設に来た時も、いろいろなことを教えてくれた。施設の事や、学校の事、街のこと、近くの公園のこととか
私達が通っている中学は山を降りて大きな道路を渡って行く。
その通学路では、2人きりで今日の出来事や今朝の朝食や同じ施設の子供たちの事、2人の友人の事を話して学校に行った。
放課後は、サッカー部に入ってる先輩を待ちながら図書室で勉強していた。
本当は、生徒は部活動に入らなくてはいけないのだけど途中から転向してきた私はじっくりと考えてから入るといいと先生の許可をもらった。
だから、放課後の図書室で勉強をしていた。部活も見に行ったがまだ決めることが出来なかった。