私には新しい彼氏がいた。ある街のシンフォニーオーケストラのトランペット奏者。私は才能のある人に弱いらしい。でも、ニコラスと一緒にいるときほど胸は高鳴らなかったし、新しい発見もなかった。

私は毎日退屈でしかたがなかった。唯一楽しいのは、歌う時だけー。


彼と出逢ったのは数年前、共通の友人からの紹介だった。

「ねえ、友達で奏美に会いたいって言ってる人がいるんだけど、どう?」

「どうって?」

「奏美、今彼氏いないんでしょう?会ってみたら?」

「うん。でも、しばらくは彼氏はいらないかな…。」

「そんなこと言わないでさ、会うだけ会ってみようよー?」

「うーん、二人で会うのも気がひけるし…。」

「じゃ、今度のクリスマスパーティーに招待してさ、そこで話してみるのはどう?」

「そうね。それならいいかも。」

「じゃあ、連絡しておくから!」


その年のクリスマスパーティーはホテルの広間を貸し切って、30人ほどの仲間が集まる豪華なものだった。

赤いワンピースを着た私は、その色に反して目立たなく、壁際に突っ立っていた。

「奏美、こんなところにいたの?新庄くんに会いに行こう!」

「うん。」

新庄くんはシャンパングラスを片手に、友人たちと話していた。

「新庄くん!奏美を連れてきたよ!」

「初めまして、新庄透です。」

「初めまして、長谷部奏美です。」

「いやー、お会いできて嬉しいです。デビューCD買いましたよ!すっかりファンになってしまって。まさか咲ちゃんと同じ大学に行ってて、同級生だとは思わなかったから、ラッキーだな!」

「ありがとうございます。咲ちゃんとは、昔からのお友達なのですか?」

「音高の後輩なんだ。」

「そうですか。」

「長谷部さんは、昔から歌を?」

「いいえ、大学に入ってからです。」

「すごいな。」

「新庄さんは、楽器は何を?」

「トランペットです。今はKシンフォニーで吹いています。」

「すごいですね。」

私たちはなんとなく意気投合した。そして、パーティーの後も何度も食事に誘われ、会っているうちに付き合うことになった。


彼と一緒にいて特別不満はなかったけれど、喜びもなかった。相変わらず私は忙しくて、せかせかと毎日を過ごしていて、心の余裕はあまりなかった。

「奏美ちゃん、今度の演奏会、来てくれる?」

「何を演奏するの?」

「ベートーベンの交響曲第5番だよ。」

「運命か…。」

「そう。嫌い?」

「いいえ、ベートーベンは好きなの。聴くのも、演奏するのも。」

「そういえば、奏美ちゃんがピアノを演奏するところ、見たことないな。今度弾いてみてよ。」

「ピアノはあんまり上手くないから。」

「ってことは、他にも演奏できる楽器があるの?」

「高校時代はね、オーボエ奏者だったの。」

「へー!驚いた!オーボエって難しいんだろ?」

「ピアノより、簡単かな?」

「もう吹かないの?」

「機会があれば…。でも、もう随分長いこと吹いてないからなぁ。」

「そっか。高校生の奏美ちゃん、可愛かっただろうね!」

「そんなことないよ。」

私は可愛いタイプではないことは確かだ。

「外国にいたんだっけ?」

「そう。」

「僕は一度も留学したことないからなぁ。外国語を喋れる人を尊敬するよ。」

「でも、義務教育で英語を習ったし、大学でもドイツ語とか勉強したでしょう?」

「そんなの、喋れるようにはならないよ。」

「そうなの?」

私は大学の4年間、ドイツ語を勉強して日常会話くらいなら話せるようになっていた。

「奏美ちゃんは頭がいいんだね。」

「頭は良くないけど、感覚は鋭いかもしれない。」

「それは頭がいいって言うんだよ。」

「そうかな?」

「そうだよ。」

つまらない会話は楽しくない。私は、まだ知らないことが彼の口から語られることを望んでいた。しかし、その期待はいつも裏切られ、普通の話しか出てこない。
私の知らない世界を教えてほしい。どこまでも旅をするかのように、永遠に尽きない道があるかのように、ワクワクする気持ちにさせてほしい。