「そうね、話すと長くなるわね。

まず、純怜の母親は、病気なんかじゃないわ。
純怜にはそういっていたけれど、本当は交通事故で亡くなったのよ。

あの子は、純怜ちゃんが小さい頃から、ピアノのいろはを隅から隅まで教えていた。厳しく、私でも行き過ぎだと思うくらいにね。

時に、練習は1日6時間を超えることもあった。純怜ちゃんがまだ4歳の頃だよ。

なぜそんなにもあの子が、純怜ちゃんに厳しくするのか、小さい頃からピアノをやってきた奏君には分かってもらえるのじゃないかな。


''お母さん、私ね、この子には、音楽の道に進んでほしくないの。こんなに厳しい世界で生きるより、もっと、多くのことを学んで、自由に生きて欲しい。''


そう、あの子が言ってきたのは、まだ純怜ちゃんがお腹の中にいるときだったわ。


あれが、本心だったかは分からないけれど、
あの子自身、ピアニストとして生きていたから、音楽の世界の厳しさを身に染みて実感していたのでしょうね。


でも、現実はそうはいかなかった。


純怜ちゃんは、生まれてすぐから、音楽、それも、ピアノに反応し始めたの。


泣き止まなくて手に負えなかった子が、あの子、怜子のピアノを聴くと、ピタッと泣きやんで、笑うの。


ハイハイができるようになったときは、いつもグランドピアノの脚に抱きついてた。抱きあげようとしても、泣いて拒んでたわ。


立てるようになって、初めてしたことは、鍵盤を触ること。でも、届かなくて、転んでは泣いての繰り返し。


怜子は、そんな純怜ちゃんをあやす為に、膝の上に純怜ちゃんを抱いてピアノを弾いていたの。


そうなると、もう純怜ちゃんが、ピアノを触らないことはなくなって、自然と弾くようになった。あの子の膝の上で。


考えてみれば、お腹の中にいる頃から、ずっと、怜子のピアノを聴いてきたわけだから、そうなるのは、必然的だったのかもしれないわね。


だれも、純怜ちゃんの才能には抗えなかった。


そして、怜子は、その時に決心したのかもしれないわ。将来、純怜ちゃんがピアニストになっても、食べていく事ができるように育てると。


奏君も知ってる通り、音楽の世界は生半可な気持ちではすぐに蹴り落とされる。ピアニストと言われる人達は、ほんの一握り。演奏だけで食べていけるとなると、世界でも50人はいないだろうね。


それを知っていたからこそ、怜子は純怜ちゃんに厳しくした。純怜ちゃんを愛するがゆえに。


でも、その厳しさは、逆に、怜子自身を追い詰めたのよ。


純怜ちゃんが6才のとき、何度目かのコンクールの舞台でのこと。

私は、たまたまその時、他に用事が入っていたから、いけなかったのよ。

その時に審査員をしていた、私の知り合いの方が、教えて下さったことなんだけど、純怜ちゃんは、怜子が教えたことを無視して、自由に弾いていたみたいなの。


結果は、グランプリ、一位だったのだけれど、怜子は純怜ちゃんを会場で罵倒した。

それじゃだめなんだって。

何で、教えていることができないのって。

怜子は、焦りばかりが募っていたんだと思う。


そのまま、怜子は、純怜ちゃんをおいて、車で会場をでたのよ。


会場をでて、数分後、交通事故がおきた。


怜子は、そのまま病院へ搬送された。


私は、すぐに病院へ駆け込んだわ。


でもね、間に合わなかった。

病室には、息を引き取った怜子と、そんな怜子にしがみついて泣いている純怜ちゃんがいたの。

後から、お医者さんに聞いた話によると、怜子は、病院に搬送された後、意識が一時的に戻ったらしいわ。

奇跡的だったそうよ。

でも、私は間に合わなかった。


そして、純怜ちゃんはそのまま気を失ったわ。


純怜ちゃんが次に目をさましたのは、1週間後のことだった。

でも、様子がおかしかったのよ。

自分の名前もいえなくなっていたわ。


お医者さんは、純怜ちゃんはショックが大きすぎて、自分を守るために、脳みそが自己防衛反応を起こして、記憶をなくしたんだと、そう判断された。


きっと、純怜ちゃんは、自分を責めたはずなの。

自分がちゃんと弾かなかったから、お母さんが死んだんだって。


それから、私は自分を悔いて悔いて、憎みもしたわ。

なんで、病院に間に合わなかったのか。

なんで、その時に限って、コンクールについて行ってあげなかったのか、怜子と純怜ちゃんのそばにいてあげなかったのか。

なんでもっと早く怜子に忠告をしてあげられなかったのか。

2人とも、あんなにも息苦しそうだったのに。


私には、怜子が純怜ちゃんに、ただ厳しくしているようにしか見えなかったの。

最期の方はとくにね。

それも純怜ちゃんの記憶がなくなった、一つの原因だと思ってるわ。


少しでも、純怜ちゃんの負担にならないように、もうピアノから離れさせるべきだとおもったわ。


だから、苗字も、私達と同じ苗字にしてあげたの。


その当時は、純怜ちゃんは神童現るって言われていたから、名前をそのままにしていたらだめだとおもって。


純怜ちゃんの旧姓は、

片瀬。

片瀬 純怜ちゃん。

私の孫であり、怜子の子供よ。」