どれほどそうしていたことだろう・・
ぶるっと身体が震え、冷えていることに気付いた。
ぼんやり見つめていた窓の先はすでに日が落ちて暗闇が広がっている。

「ディアナ様?」
あたたかな上着が肩にかけられ、
振り向くとほっとした様子のマレーの顔があった。

「、、私、、。」
「大丈夫ですか?何かずっと考え事をされているようでしたよ?」

そうだった、アイザックの話を聞いていて、、どうやら、ぼうっとしていたようだった。

「フランツ皇子様もいらしていたのですが、しばらくそちらの椅子にお掛けになられて
出て行かれましたわ。」

「皇子が・・?」
「まあ、、やはりお気づきではなかったのですね。」

心配を集めたような表情になるマレー。
「ずっとお気持ちがここにないようなお顔でしたもの。。
アイザック様が何かおっしゃったのですか?皇子様もとてもご心配されていましたわ。」

「もしかして、皇子にアイザック様のことを?」
マレーは頷いた。
「ええ、皇子様が尋ねられたんですよ。ディアナ様の様子がおかしいようだが何かあったのか、と。それで、さっきまでアイザック様とお話しされていた、とお伝えしましたわ。
そのあと、私にディアナ様のおそばにいるようおっしゃって、すぐお部屋を出て行かれましたわ。あ、ディアナ様・・?」

肩からずり落ちそうな上着を押さえ、椅子から飛び上がらんばかりに立ち上がった。

「皇子のところへ行かなきゃ。」
長く座っていたのと寒さとで腰が痛くなっていた。



私のせいなのに・・。

私がちょっとショックで、しかも自分の甘さがショックで
考え込んでしまってただけだもの、
アイザックがどうのじゃないのよ。

皇子がアイザックに変なことを言ってしまわないように
行ってちゃんと説明しなきゃ!

私は勢いよく扉を開け、皇子のところへ急いだ。




☆☆☆

皇子の自室には、意外にもすんなり通された。

前に何度か来た時には、扉のところで執事のベンダモンさんが皇子に取り次いでくれて、
大丈夫であれば入れてくれたのに。

今回は私を見ただけで何も聞かれず、『どうぞ』と通された。
皇子への取次は要らないようだった。

≪皇子は私が来ることをわかっていたんだろうか?≫


扉を入るとホールになっていて、奥にもう一つ重厚な扉がある。

その扉の向こうが執務室だった。

≪アイザックはまだいるだろうか?≫

ディアナは焦る気持ちを抑え、ベンダモンに続いて執務室への扉の前に進む。

「皇子様、ディアナ様がいらっしゃいました。」

≪やっぱり、私が来ることがわかってたの?≫
少しの間があって、カチャリと扉が開いた。
まぶしいくらいの金色の髪のフランツ皇子が立っていた。
「お入り。」すっと私の手をひいて扉の中へと導いた。
扉が背後で閉められた。

フランツ皇子の『執務室』に入ったのはこれが初めてだった。
そういえば、いつもホールのところで待たされて終わったり、私の部屋に来てくれていたから会えていたんだっけ。

ぐるっと執務室を見渡すと、アイザックの姿はなかった。
その部屋にはフランツ皇子ひとりだった。

部屋は広かった。机というにはあまりに大きいような、どっしりと重厚な感じの机と
彫刻がなされ背もたれの素晴らしい椅子が中央に置かれ、存在感を発揮している。
フランツ皇子にひかれるまま、たっぷりとした絨毯の上を歩く。

壁にはびっちりと本が並べられ、他には小さめのテーブルとイスが2つあるだけだった。
どれも豪華なつくりではあるが、必要なもの以外全くない印象だった。

「座って。」
小さな丸テーブルの椅子に座るよう勧められる。
「皇子、アイザックと何かお話をされたのですか?」
皇子はじっと私を見つめている。私も負けじと見つめる。
長い足を組み、向かいの椅子に座っているフランツ皇子は
ドレープたっぷりの白いシャツの襟元を外しているから、
今日の公務はもう終わっているのかもしれない。

「何の話だい?」
「マレーさんから皇子がいらしていたと聞きました。
私、考え事をしていたようで、皇子がいらしていたこともわからなくて・・
でも、それはアイザックのせいではないんです!だから!」

「君の気持ちはあの時あそこにいなかった。
私がそばにいるのにまるでわからないくらいに。
・・何がそんなに君の心を追い詰めていたのか?」
「追い詰める?」
フランツは小さく顔を横に振った。

「とても切なそうな顔をしていた。」
うす闇の迫る中、そうしてたたずむディアナを見て、
フランツは心が痛くなるようだったことを思い返していた。

そばにいるのに、その心を占める何かを拭い去ってやりたいのに
私は君には見えていないのだろうか、と。
落ちてゆく夕日に染まるディアナを見つめていたのだった。

「アイザックには不敬罪で厳罰を与えた。」
「っ!!どうして?!アイザックは私の甘さを教えてくれただけです!
何も罰を受けることなんて・・っ!!」
私はフランツの手を握りしめて言った。

「そんな、ひどい、、罰だなんて、そんな!!取り消してください!!」
必死に言う私に、フランツはその瞳を向けているだけで何も言わない。

「私は自分のことを振り返っていたら、ついぼうっとしてしまってたんです。
考えが甘いこととか、よくよく先を考えもしないで行動してしまうこととか、
それがいろんな人に迷惑をかけてしまうかもしれない、そうなるかもとは
思いもしなくて。。」

「迷惑?」
フランツの眉が動いた。

ディアナは力なく頷いた。
「皇子のそばにいれば、それでいいんだと思ってたんです。。
私は、、突然ここに来ることになったけれど、、
特別な力とかそんなの持ってなくて、、ただ、普通と変わらないから。。

でも、たくさんの人が救いに期待を寄せていて、
その人たちにとって救いは特別な存在で。。

救いを名乗るってことは、、その人たちの期待に応える働きをしなきゃならないのに
私はそういうたくさんの人たちのことまで見えてなかった。。

もし失敗したら、その人たちを失望させてしまうとか、裏切ることになるとか思いもしなくて。。でも、引き受けた救いというのはそういう存在なんだって思い知って。。
今さら、、ほんとに、
自分はなんて考えなしだったんだろうって思ったら・・
ぼうっとしてしまってたみたいで・・」

かけた上着がずれ、華奢な肩が見えたがディアナは気が付いていない。
フランツがすっと横を向いて視線を外してしまった。

≪皇子もあきれてる?≫
でも、アイザックへの罰はなかったことにしてもらわなきゃ。。
立ち上がり、フランツの目の前に回り込む。
上着がするりと床にすべり落ちた。

「私が最初からもっとしっかりしていれば、
アイザックは何も言わなくてもよかったはずなの。だから・・!」

グイッ!
突然、フランツの大きくてたくましい胸の中にひきこまれ、膝の上に乗せられてしまった。

目をしばたたかせるディアナにすぐ目の前に迫る形の良いフランツの唇が開かれた。
「罰なんて与えていない。」
「え!?」

フランツはほのかに香る花のようなディアナをぎゅっと抱き寄せた。
華奢な肩にそっと触れる。でもディアナは身体をびくっとさせたが話に夢中だった。
「話を聞いた。それだけだ。」
「本当に?」
「ああ。」
ほっとすると、どっとちからが抜けるようだった。

「アイザックの言うこともわかる。
国民は伝説やおとぎ話が好きだから、期待は大きいだろう。
だが私はしくじったりしない。絶対にきみを苦しめさせたりしない。」
強い眼差しだった。

「ディアナのことを救いだと言ったのは私だ。私の勝手でしたことだ。
ディアナに責任はない。むしろ巻き込まれている方だろう。」
少しあげられた眉が、『そうだろう?』というようだった。

「特別な力など、誰にもない。もしそれがあったとしたら、、
あの時ディアナが私の目の前に現れたこと、それ自体が特別なことだったのかもしれない。
誰にも説明ができないのだから。」
私は心が温かくなるようで、目頭がじわんとした。。

「ディアナが甘いかどうか?きみはきみでいればいい。
きみを救いにして今の状況を乗り切ろうと利用しているのは我々だ。その責任は我々にある。

・・君は十分に強い心を持っている。
知らないところにやってきて、泣き顔さえ見せず、役に立とうとしたり、ひとりで抱えて考え込んだり。
もっとそばにいる私に分けてくれればと思うくらいだ。ひとりで、抱え込まないでほしい。」
張り詰めた気持ちを緩めさせてくれようとするフランツ皇子のやさしさが、うれしかった。

「もっと甘くなってもいいのだが?
私だけの救いでいてくれればいいのに。」
そんなことを言うから、この状況にはっと気づかされてしまった・・。
皇子はいつも私の反応を楽しむようなからかっているようなところがある。

皇子の膝に座り、その胸に抱きしめられていた。こんなに近い皇子の顔。

立ち上がろうとすると、『だが、少しくらい罰を与えてもいいかもしれない。』と言うから
私はそのままフランツに向き直った。

きっと私は眉根を寄せていたんだと思う。
だって、また罰だなんて、一体どういうことか理解できなかったから。
『どうして?!』と言いかけた唇は、フランツの指でぴたりと止められた。

「私だけを見ていて、と初めて会った日から言っていたのに。」
フランツの指がそっと私の唇をなぞり、顎にそっとかけられる。

「ディアナ、君は他の男のことでそんなにもムキになって。
『次は逃がさない』と言ったよね?」
顔中からカッと火が噴きそうだった。

やわらかい感触が唇に触れた。
ぬくもりのあるやわらかい、、唇が唇に重ねられる・・

フランツはやさしく愛おしむように口づけをした。

ぎゅっと抱きしめる逞しい胸と腕。
何度も包み込まれているように感じたその香り。
フランツの微笑がこんなにも近い・・
初めて触れ合った唇の感触・・


口元にやろうとした手はそっと皇子の手に握られ、遮られてしまった。
鼻と鼻が触れ合うほど近くて、恥ずかしさで、ディアナは瞳を伏せた。
頭がじんとして身体の力が抜けていく・・
甘い吐息が・・


離れられない・・


フランツは胸の中の香る少女を抱きしめる腕に
そっと力を入れた。

もう一度、唇が重ねられる。
さっきよりも長く、重なる唇・・

頭がおかしくなりそう・・・


唇が離れ、腕が緩められた。
目を開けると、フランツが優しく見つめていて
恥ずかしさが募ったディアナは慌ててその胸から抜け出した。
力の入らない足腰が彼女を絨毯にぺたりと座りこませた。

それを見てフランツは肩を揺らして笑っている。
「かわいくて、食べてしまいたくなる。」

ディアナは両手を頬にあてた。身体中が熱く燃えるようだった。

「私のことしか見えなくなるさ。」

≪ーーーーっ!!≫
ただでさえ高鳴っている心臓が、
今にも飛び出しそうだった。